北海道・札幌発・だべさ通信5

八雲には眠っている埋蔵金があるらしい

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宝探しと聞くとインディ・ ジョーンズの『魔宮の伝説』なんかが思い出されて、わくわくする。
いつだったか、歴史好きの近所のおじさんが、「手稲の山にもな、埋蔵金が埋まってるらしいぞ」なんて真顔で言ってました。

 

まさかね~。
その話を旦那さんとしたとき、私はツバを眉にチョイチョイ(マユツバ)するそぶりをしちゃったくらい。
とはいえ、本当だったら面白いね。
その話を聞いてから、手稲山が宝の山に見えてたもね。

 

昨日、読んだ本に書いてあった鉱山の埋蔵金の話には、夜更けというのにワクワクしました。
その内容は、北海道の南、八雲には、鉱山の隠し金が眠っているというものです。

 

■ 昭和まで続いた鉛川鉱山

八雲には、1968年(昭和43年)まで続いた鉛川鉱山があった。
その歴史は、延宝年間(1673ー80年)ころに始まり、当時は遊楽部鉱山と呼ばれ、大量の金や銀、鉛、亜鉛などを採掘していたことに始まる。
その後、鉱山は繁栄し幕府直轄を経て、明治維新前には日本で初めてダイナマイトの爆破作業による採掘も行った鉱山である。

 

■ 明治維新が埋蔵金のきっかけに

明治に変わろうとしていたとき、榎本武揚軍は北海道に上陸、函館の五稜郭を占領しようとする。
戊辰戦争が始まったのだ。
もしや、次は鉛川鉱山も占領するのではないか。
鉱山の責任者は、金銀の固まり20個を、雄鉾岳 (おぼこだけ)に隠すよう、アイヌの親子に頼んだのだというのだ。

 

親子は、雄鉾岳の山麓の、あるキリの木の下に金塊を埋めた。
しかしその後、榎本武揚軍が鉛川鉱山に侵入することはなく、戊辰戦争は集結した。
ところが、金塊を探す段階になって、どうしても金塊を埋めたはずのキリの木が見つからないのだ。
金塊は、とうとう見つからないまま現在に至っている。

 

■ 金塊が埋められている場所

この話には続きがあって、当時ピリカベツ駅逓を経営していた老人の話が付け加えられている。

「ワシが若かったころ、金を探しにやってきたという山師が、金塊を埋めたというアイヌの先導で雄鉾岳に行き、2週間も探したが、見つからなかったという話じゃ。ところが昭和になって、鉱山の若い奥さんが、墓のそばの畑をおこしていたら金の粉が見つかったんだよ。隠したのは金塊じゃなくて、砂金だったかもしれん」

 

鉱山が閉山したのち、墓地の下の川のそばにあった協同浴場を壊していたときのことである。
男湯のタイルの下から、なんと金の櫛が見つかったのだ。
これは神のものに違いないと一時は祠に祀ってあったのだが、この櫛を盗もうとした男がその櫛に触れた途端に電気にでもうたれたように動けなくなった。

 

(※八雲町のホームページには、「金の櫛」とされているものの写真が載ってました。)

※ 鉛川鉱山には温泉が発見されていて、鉱山の保養所として2つの浴場があったが、現在は、八雲町が新たに掘削した温泉『おぼこ荘』がある。

 

金塊を埋めたとされるときから約150年。
その桐の木は今どのくらい大きくなっているんでしょうね。
温泉に浸りながら、山の様子を眺めてみたいものです。

もしかしたら灯台下暗し。
湯船の傍かもしれないし、金の端っこが土の中からちょろっと見えたりなんかもするかもしれない。
そしたら黙って拾っちゃおうかな。
それとも、発見者のAさんとして、新聞に登場しちゃおうかしら。
これだから宝探しはワクワクしちゃうね。

 

 

 

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