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八王子市と苫小牧市の、深い関係のお話です。
先日、苫小牧に行ったときに寄った公園は『勇払開拓史跡公園』。
ここには、『蝦夷地開拓移住隊士』のお墓がありました。
偶然、いつか本で読んだ、赤児を抱いた女の亡霊の物語「夜泣き梅」にまつわる所でした。
明治の開拓史が入植するずっと前の事です。
北方警備などの為に『八王子千人同心』という団体が、このあたり勇払(ゆうふつ)にも開拓に入りました。
『八王子千人同心』は、八王子城下の警備などをしていたお百姓を兼ねたお侍さんたちだそうです。
でも、本州からいきなり北海道に来て、自給自足するなんて、あまりにも過酷すぎますよね。
飢えと厳しい寒さ、そんな過酷な環境に絶えられず、亡くなる人が絶えませんでした。
勇払開拓史跡公園には、その時亡くなった人たちのお墓が集められている場所がありました。
偶然『梅』と書かれた墓石を見つけました。
さて、『赤児を抱いた女の亡霊』のお話に登場するのは、『八王子千人同心』の一人、河西佑助という人の妻で、この『梅』という女性です。
『梅』は22歳、長男を伴って夫と一緒にやってきました。
のちに身ごもって赤ん坊が生まれますが、未開の土地での厳しい環境は、身重の梅にはあまりにも過酷すぎたのでしょう。
享和3年(1803年)5月、赤ちゃんを残して梅は亡くなりました。25歳でした。
お産の前後は、それでなくても体がしんどいもね、本当に寒さは大敵。
冷たい水に触れただけで、お腹の中まで身震いした自分を思い出しますよ。本当に可哀想にね。
以下は『北海道のロマン伝説』という本を抜粋します。
『いとし子は一滴も出なくなった母親の乳房をしゃぶって弱々しく泣くのだった。やがて「この子にお乳を、お乳を・・・」とうめきつつ亡くなった』
夫の祐助は幼子を抱いて、声を上げて泣いたそうです。
それから不思議な事が起こり始めました。
シトシト雨が降る夜のこと、赤ん坊を抱いた母親が、「お乳をください、この子にお乳を下さい・・・」と、泣きながら家の戸を叩いてまわるのです。
家の者がそっと戸を開けてみると、赤ん坊を抱いた母親が、お墓の方に消えて行く姿が見えたのでした。
梅が死んだ5年後、祐助は函館奉行所へ移りましたが、勇払での疲労が重なったのでしょうか、4ヶ月後に亡くなってしまいました。
本によると、祐助のお墓には妻の梅の俗名も刻まれているそうです。
それを建立したのは、勇払に一緒にやってきた長男ではないか・・と書かれていました。
『八王子千人同心』の歴史から、苫小牧と八王子は今、姉妹都市になっています。