北海道新聞に、今から60年あまり前(1956年)の札幌駅前の写真が載っていました。
『あら懐かしい、知ってる?この地球儀』
旦那さんに思わず聞いてみる。
60年前は11キロ先まで見渡せた札幌
旦那さんも「知ってる知ってる、見えたもなあ、オレんとこの中学校あるべさ、あそこの土手からよく見えたわ」と印象に残っているようです。
写真の左に見える大きな球の看板には、外側にグルリと帯状になったプレートがあって、確か赤い文字だったと思うけれど、大きく『日本通運』と書かれていました。
写真を見るとその建物は3階建。看板は建物と同じくらいの高さか、もしかしたらもっと大きいかもしれないですね。
隣の日産火災海上の看板のあるビルは5階建なので、地球儀の高さの位置は、ビルの6、7階くらいだったかもしれません。
子供の頃は、自分の住んでいる手稲から札幌駅周辺に出かけることなんて滅多にないのに、どうしてこの看板が懐かしいのか。それはですね手稲からでもこの地球儀が見えたからなんです。
手稲から札幌駅までは、直線距離にして11キロほど。でも当時はその間に視界を妨げるもようなものはなかったもので、天気のいい日はいつもこの地球儀が 見えていたんですよ。
小樽と札幌の間にある手稲は、当時はまだ『札幌郡』で、ビルと呼ばれるような建物はなかったし、私の住んでいた地区はさらにその奥。
そこからでも見えた地球儀は ” ココがデパートがいっぱいある札幌駅さ” とちょっと自慢げに言っているようでした。
昔の手稲の子供達にとっては、この地球儀は都会のシンボルマークだったのかもね。
1955年(昭和30年)の札幌の人口は約42万人でっすって。( 手稲が札幌と合併1967年(昭和42年) )現在では約195万人です。
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写真の後ろに見える高い塔は、札幌テレビ塔の建設途中のようですね。
この年の6月の着工で、塔が完成し、NHK札幌が電波を発信し始めたのがこの年の12月でした。
となると、当然、テレビ塔も見えたはず。なのに、この地球儀の方が記憶に残っているのはなんで??
この丸い形の方が子供心にカッコよく見えたのかもね。
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60年前の札幌駅前の写真ですか
子供心に強烈な印象を焼き付けられた風景なのですね
昔から風景は変われど、賑やかな都会だったのですね
ぽぷら様ほど記憶にとどめておりませんが、私の故郷にも様変わりの風景があります
昨年新聞に載った写真が引き金になりました
故郷は尾道ですが、尾道駅が立て替えられて、今年から営業されるようです
以前から駅だけ古い駅舎のままで、駅前とか海岸は様変わりしてまして、昔の面影は全く残しておりませんでした
商店街の本通りも、ご多分に漏れず、シャッターが降りている店が増えてます
自分のことが多い記述になってしましました ダメですね
片思いさんへ
とんでもございません、色々なお話、楽しんで読ませていただいています。
尾道がご出身なんですね。昨年、尾道に行ってきました。坂の町ですよね。時々テレビなどで紹介されていて、坂の上から眺めるあの美しい景色を見たいと思っていました。実際は、テレビで見るよりも素晴らしいかったです。素敵なふるさとをお持ちですね。
お早うございます
尾道重ねての紹介です
大阪方面から山陽線で鈍行列車で帰ってきますと社内の話声がだんだんと故郷方言が多くなってきます あー帰ってきたのだと胸ジーンとなって来たものです
東端から尾道水道へ入ります 向島と尾道を隔てる狭い水道です
夜ですと水面に明かりがひらめき映り、これも美しいものでした
遠い青春時の一コマです
片思いさんへ
そうそう、尾道で見た美しい風景は尾道水道です。ロープウェイで山に登りました。
尾道水道は大きな広い川みたいですよね。下りは歩いて降りてきましたら、途中にある家家がとても趣がありました。古い住宅を改造中のカフェもありました。
坂道にレールを敷いて貨車みたいな箱に材料を入れて上がってきているのを見ました。坂の町の工夫なんですね。