PR
「あんたB29って、知ってるかい?」
大切な乙女の頃を戦争の時代に生きたそのお婆さんは、私をまるで10代の子供に言い聞かすように言いました。
『ええ、名前だけは知ってますよ。母からも聞いた事があります。戦争の時に、爆弾を落としにやってきたアメリカの飛行機でしょ』
「そうそう、私、函館に住んでいた時に、それを見た事があるのよ」
おばあさんは、ヒョイっと右手で手招きをしました。
それから、
「夕方のカラス、見た事あるでしょ。ほら、カラスがお宿に変えるときに、空が真っ黒になるべさ、あれよ」
『あ〜、はいはい』
「私なんかさ、最初、カラスかな〜なんて思っちゃったくらいさ、はっはっは、そんな感じなんだよB29って」
夕方のカラスか・・・・
オチャメに話しているけど、言ってる事はすごいなあ。
「それでさ、爆弾おとすべさ。どんなふうに見えると思う?豆よ豆。カラスから黒豆がバラバラ落ちて来るって感じ。すごかったよ〜」
おばあさんは、ちょっと斜めに構えて、”まるで、誰かの秘密でも見ちゃったかのように話しました。
”空を染めたカラスたちが豆黒を落とす”か・・・・
本物のカラスならおもしいけどなあ。本物の光景を想像すると、身震いがしました。
これからお宿に帰るカラス達を見た時は、きっとこの話しを思い出すだろうと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「木でできた飛行機もあったんだよ」母が言いました。
「見たの?」
「見た見た」
調べてみると、それは試験飛行で札幌の丘珠飛行場に飛んで来たものらしいという事がわかりました。
戦時中、もう飛行機を作る金物がなくなってきた頃。国は、木製の飛行機を作る事にしたそうです。その工場として使われたのが、札幌から近い江別の王子製紙。合板を作る接着剤として、カゼインと言う牛乳から作られるものを使い、スキーの板を曲げる要領で、終戦の年の6月、100機予定のうちの、最初の飛行機を完成させました。
皆が見守る中、木製飛行機は見事離陸、丘珠飛行場に向けて飛び立ちました。
でも、8月には終戦。
木の飛行機は戦争に使われる事はありませんでした。
母が乙女の頃に見たという木の飛行機はきっと、この事だったんだね。
この空を道産子飛行機が飛びました。願わくば、今度は平和の木製飛行機となって飛ぶところを見てみたいなあと思います。