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塩狩峠は北海道の旭川から少に北にあります。
1909年(明治42年)の冬、この場所で起きた列車事故の記録があるので、ご紹介しますね。
本などで見聞きした、あくまで私の感想としてご覧下さいませ。
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<事故のあらすじ>
汽車が峠にさしかかったあたりで、一番後ろの車両の連結が外れてしまいました。
車両は峠の坂を静かに下り始めます。
その時、偶然に乗客として乗っていた鉄道員の長野政雄さんは、暴走し始めた車両のデッキに出て、ハンドブレーキを回して車両を止めようとしました。
熟年以上の方ならご存知かもしれませんが、昔の列車の車両はね、前後に、家でいうなら小さなベランダみたいなデッキが付いていたんです。
車両のスピードは落ちたんだけど、完全には止まりません。
そこで彼は、乗客の命を守るために自らの体で車両を止めました。
ガタンと止まった車両から乗客達が外に出てみると、そこには雪を真っ赤にそめた遺体があったそうです。
それが、2月28日の事でございました。
長野政雄さんという人は、愛知県の水穂村という所で、武士の子として生まれた人だそうです。
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このお話をモデルにして、三浦綾子さんが『塩狩峠』という小説を作り、のちに映画化もされ、40年前に乙女だった私は、目を真っ赤にして鼻をすすりながら見たものでございます。
この物語には、”人間の体で車両は止まるものなのか” とか、” 他人の為に自らの体を犠牲に出来るものなのか、転落ではないか” などの疑問視されている部分があります。
当時の列車事情や状況も、今となっては知るよしもありません。
けれど結果として、彼は身をていして乗客を救った事は事実です。
塩狩峠にはその後、彼の記念碑が立てられました。
北海道の歴史の事を知るたびに思う事は、『北海道人』とか言うけれど、元はと言えば全国各地からやって来たフロンティア精神を志した人たち、それと自然と生きたアイヌの人たちです。
その人たちの出身地を知る度に、その人が生まれた土地、住んでいた街が、またちょっと好きになる自分がいるのです。