北海道・札幌発・だべさ通信5

江差104年ぶりに郡来 お婆さんに頼らなくても大丈夫

『104年ぶりに江差にニシンが戻って来た!』
ニュースで報じられるほど、それは北海道にとってはすごいニュース。
ニシンは北海道に開拓のクワが入るずっと以前から、北海道の産業を支える大切な魚でした。
中でも江差(えさし)は特別たくさんのニシンが獲れたもんで、『江差の春(五月)は江戸にもない』って言われるくらい、ニシンの時期は賑わっていたんだって。

 

 

本州の年貢といえばお米だったでしょ。
北海道の松前藩の場合は、アイヌの人たちからの交易品の他に、ニシンも大事な年貢だったそうです。
沢山獲れたニシンの殆どは肥料等に加工されて送られる。
だからニシンは漢字の書き方が2つある。
『鰊』と『鯡』。
ニシンは魚だけれど、お金になるのでニシンにあらず。
それで『鯡』という漢字が出来たって、ガイドさんに教えてくれました。
なるほど〜〜〜。

 

でも、そんなに沢山獲れたニシンが昔のように獲れなくなって100年あまり。
そして先日、再び江差の海岸が、郡来(くき)によって白く濁っているのが発見されたのでございます!
その大きさは幅150m長さは50mほどだったとか。
郡来とは、ニシンが海岸近くに集まって産卵をする時に、海が精子によって白く濁る現象です。
この郡来を起こしているのは、不思議なお婆さんが、またもや瓶を海に投げ込んだからではないでしょうか。

 

は?・・・・・・

実ですね、むかしむかし、江差が飢饉で苦しんでいたころ、不思議なお婆さんがいて、江差の かもめ島 のそばで瓶(とっくりみたいだったらしい)を投げたら郡来が起こり、ニシンの群れが現れたというのです。
それからというもの江差では、お婆さんを神様と讃え『姥神大神宮祭』が行われるようになったそうです。
100年という時が過ぎ、お婆さんはニシンの獲れなくなったこの世に再び現れ、スペアに持っていた瓶を、こそっと海に投げ入れたに違いありません。
お婆さん、ありがとう。

 

ってなワケはない。
これは長年続けて来たニシンの孵化事業の努力が実ったのですね。
6cmほどに大きく育った稚魚を放流するんだそうです。
小樽にもニシンが戻ってきたしね。
ニシンの郡来が、北海道の春の風物詩になる日も、そう遠くはないかもしれません。

 

昔、江差の人々を救ったという、おばあさんが投げた瓶は、今でも瓶子岩(へいしいわ)となって江差の海岸に残っています。
学生だった頃の旦那さんが撮った写真。
右に見える岩が、お婆さんの投げた瓶です。怪力!!
もう、お婆さんに頼らなくても大丈夫ですね。


 

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