北海道・札幌発・だべさ通信5

惨劇苫前羆事件 その2

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さて昨日は、厚田から車は北上。北に進むほど海が青く光り始めました。
2年前に行った苫前の熊事件のあった場所にハンドルをきりました。

 

うっそうとした山道の行き止まりにあるその現場は、まぶしい日差しもさえぎる林の中です。景子と娘さんは、静かに車から降りると、事件の現場を模した小屋に歩いていきました。
私も恐る恐る後をついて行く。
もし熊が現れたら、一番美味しそうな景子を置いて逃げられるもんね。

 

以前来た時はには怖くて見に行けなかっけど、今回はちゃんと、熊の爪痕も見てきました。木は成長しているのでしょうが、それにしても、巨大な爪跡です。

あ、それは景子の手だよ。熊さんみたいだけど。
その景子の手のひらと、木に深くえぐられた爪痕を比べてみて下さい。
熊の手のひらは、景子の顔より大きいに違いありませんね。

 

 

私達が到着してからすぐあとに、おじさん達数人がやってきました。
「そういえばここさ、去年、本当の熊が来たんだってよ」
え~!そうなんですか!
そ、そろそろ戻ろうか・・・・・

 

 

「今、自分達が生きている時代に感謝だね」 景子の娘さんが言いました。
「北海道の開拓に来た人が、どんだけ大変だった事かって事だよね」景子が言いました。
最初はちょっと冗談を言ってた おじさん達も、付近を歩いたり、腕をくんで看板の内容を読んだりしているうちに、「本当に昔の人は偉かったよなあ」とぽつりといいました。そこにいる誰もが、同じ気持ちになっていたようです。

 

 

それじゃあ私達はこれで。
いつになく、車の中は幸せな時代に生きている自分達に感謝する話題でいっぱいになりました。

 

 

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2年前に来た時に、惨劇苫前羆事件(その1)の事を書きました。
そのブログ『だべさ通信2』は消えてしまったので、もう一度、アップしておく事にしました。2008年6月18日up

「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」留萌から内陸に30キロほど入った三渓という所にそこはありました。その付近は『ベアロード』と名付けられていて、熊のプーさんにも似た可愛い案内板が、『あと○○キロ』などと書かれて置かれています。けれど、事件現場が近づくにつれ、微笑ましい看板などとは似ても似つかぬ雰囲気が漂います。

 

 

農家が点々と存在するアスファルトの道がいつしかとぎれ、砂利道になりました。道幅は狭くなり、うっそうとした木々が道の両側から迫ってきます。雨がしだいに激しくなってきた頃に到着した行き止まり。今にもヒグマが出てくるような、そんな雰囲気です。

 

 

 

 

ここは、実際にあった現場に、当時の模様を再現したものです。
以下は、この場所に建てられていた説明文『開拓にまつわる史実』を、ある程度略して書いてみます。
『大正4年12月、冬眠をする事ができなかったヒグマが、10人を殺傷した事件がありました。
ヒグマは、9日に太田家に侵入し母子を襲いました。翌日、その通夜に再び現れたあと、その足で明景家宅を襲ったのです。ここには付近の女性や子供達10人が避難していたのです。激しい物音と地響き、窓のあたりを凄い勢いで打ち破り、イロリを飛び越え、巨大な熊がくずれ込んできました。
ランプは消えて逃げ惑う女性達に巨熊は襲いかかったのです。

 

 

 

 

 

 

臨月の婦人は「腹は破らんでくれ」!!「のど食って殺して」と絶叫し続け、ついに意識を失いました。
この巨熊も、事件発生後、6日目にあえない最後を遂げたのです。
巨熊は金毛を交えた黒褐色の雄、身の丈2.7メートル、体重340キロ、年齢は7,8才と言われています。』

 

 

この家から少し入った所に、実際に熊が木に付けた爪痕が残されているそうですが、もう、恐くってここが精一杯。

 

 

 

 

この事件の詳細は詳しく語られていて、私は最初、興味本位だったんです。でも、ここに来てみて、本当に胸が苦しくなりました。
当時の時代に生きた先人達に、頭が下がる思いです。

アスファルト道路まで戻った時、若者達の車とすれ違いました。楽しそうにお喋りしています。さっきまでの私の顔かもしれないな。
最初は興味本位でもいいんだよ、それを知るきっかけになるんだもの。だから、この場所の意義はとても重要だと思うの。改めて今の時代に生きてる幸せな自分を確認する。そして、先人達に感謝したくなる、ここに来た誰もが、きっとそう思うに違いないと思いました。

(2008年5月6月18日)
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5月1日、羽幌に行った帰り道。
あれ?開館しているのかな。外から見ると中は真っ暗。でも戸はそっと開けられる。
「やってますか?」
「はいはいどうぞ」奥から、おばさんの声がして、パチパチっとライトがつきました。ここは苫前の郷土資料館。以前は役場か何かで使われていたような、年期の入った建物です。でも、ここに来たかった理由がありました。

 

去年の夏に、私達は、ほんの興味本位から、「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」のあった苫前の 三渓という場所を訪れました。
でも、そこで感じたものは、北海道人にとっては、まさに開拓の原点でした。

 

その日からの開館で、お客さんは、私達夫婦で、たったの二組目。
「この事件のあった時、私の父親は4歳で、まさに、あの事件のあった三渓に住んでいたんですよ。ほら、『射止め橋』というのがあったでしょ、あのあたり。私が今、この仕事をするってわかっていたら、もっと父ほ話を聞いておくんだったわ」受付のおばさんが話してくれました。

 

 

さて、牛のような、いやもっと大きさのヒグマの剥製が置いてありました。
彼の名前は『北海太郎』。いかにも強そうな名前。
説明文には、『体重500キロ、鼻先から尾の付け根までが身長で2.43m。歯を調べる事によって、年齢は18歳であることがわかる。現在確認されているヒグマの最高年齢は34歳、母熊は25~27歳である』と記されていました。

 

おっかないっしょ!こんなのに出会ったら、死んだフリしたってもうダメよ。
それに、ヒグマって本気をだすと、時速50キロの早さで走るんだってさ。
腕の一振りで、人間の首なんか、吹っ飛んじゃうらしいです。

 

爪だけで、こーんなに大きいの。ボールペンの半分くらいの長さがありました。
資料館には、当時の様子を再現した部屋が作られています。
こんな祖末な壁だもん。ヒグマなんかあっという間に侵入できちゃう。
それに、よくまあ、この家で、冬を越したもんだわね。

 

資料館の奥には、ヒグマが襲ったという集落の模型が置かれていました。
なるほど、こういう順路で、民家を襲っていったのか・・・・ん?
リカちゃん?リカちゃんでしょや!
模型に使われている真っ白い顔の村人ABCは、私の友達だったリカちゃん達です。小屋の中でおびえているのは、黒マジックで顔を書かれたワタル君。
プハ~! 思わず目テン。おっかしいっしょ!

 

でもちょっと素敵。だってほら、よく見て見てごらん。
村人達の服も小物も、みんな手作りです。一針一針縫ってあります。こんなリカちゃんが、いくつも置かれているんです。
限られた予算で手作りした光景が目に浮かぶ。
ちょっとの時間、恐ろしい熊事件のことを忘れちゃった。

 

私は今まで、北海道の観光と言えば、美味しい食べ物と奇麗な景色しか浮かびませんでした。 でも、自然は時として凶暴にもなる。北海道の開拓は、ヒグマとの戦いでもあったのです。
今にもそこから巨大熊が飛び出してきそうな現場を、是非多くの人にも知ってもらいたいと思います。
観光バスにも来てほしいと思いました。そしたら、小熊を見つけて駆け寄ったり、エサをやったりなどする事は、絶対になくなると思うのです。(2009年5月6日)

 
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