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昭和新山を初めて見たのは、小学校の時の修学旅行のときですから、今から数えて・・えーっと・・46年まえ???
おお・・すぐに計算できないほどの恐ろしい月日の経過。
それだも、山の中腹くらいまで、草が生えちゃっていても、むりはないかもね。
当時は、山裾まで赤い岩肌、あっちこっちと煙りが上がっていました。
昭和新山は、昭和18年(1943)から、たったの2年足らずで、麦畑からいきなり隆起した溶岩ドーム。
郵便局長だった三松正夫さんが、昭和新山の隆起の様子を詳細に記録していた事でも有名です。
その自然を守る為に、この土地をまるごと購入したそうです。
ウィキペディアによると、三松さんは、お皿に乗せた豆の動きで地震の回数を、水平に張った糸を頼りに日々変わる山の形を測定したとか。
色々な工夫を考えながらの観測なんて凄いね。
現在、昭和新山は、洞爺湖有珠山ジオパークの一部として、とても奇麗に整備されています。
ズラリと並んだお土産物屋さんの前には、沢山の車や観光バスが次々にやってきます。
アジアからの観光客はもとより、英語もいっぱい飛び交っていました。
昭和新山パークの一角に、ビジターセンターがありました。
中には休憩スペースと、パンフレットや動物の剥製などが置いてあります。
でも、私が一番、目を引かれたのが、入り口に置いてあった2頭のエゾシカの剥製です。
1頭はサングラスをかけ、もう1頭は帽子をかぶり、地味な女性柄のスカーフでほっかむり、しかもドジョウすくいみたいに鼻のところで縛ってある。
首には手ぬぐいを巻き、さらには、薄汚れた手ぬぐいで腹巻きもしています。
やりすぎだ、46年まえのお土産屋さんに来たみたい。
こんなところで懐かしがってどうするんじゃ。
ここは支笏洞爺国立公園の、火山や動植物の自然を発信するビジターセンターじゃなかったのか?
それとも、タダの人寄せ観光スポットだったのか。
ここに来た世界中の人達に、昭和新山はもとより、この支笏洞爺国立公園を知ってもらおうと思った時、手作りで昭和新山の観測をした三松正夫さんなら、どんな工夫をするんだろうか・・・・・と、シカにほっかむりをさせたおじちゃんに(であろうと勝手に想像した)イラっときたおばちゃんであった。
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