北海道・札幌発・だべさ通信5

昭和の昭和新山は煙りがモクモク修学旅行の8ミリフィルム

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明日は定山渓温泉で、小学校のクラス会があります。
数年前から、60歳のときが来たらみんなで温泉に行って泊まろうと話し合っていました。

 

私が通った手稲の小学校は、学年が1クラスずつで、クラスメイトは23人くらいだったかな。
当時はまだ札幌郡で、木造校舎には幼稚園、小学校、中学校が一緒でしたから、みんな一緒に育ったようなもんですね。

 

 

月日は流れて私は偶然にも嫁に来たところが故郷の手稲。
長女が小学生のとき、学校のクラブの北海道大会を見に行ったときに偶然に先生を舞台で見かけ、アンケート用紙にダメもとで自分の名前を書き入れたところ、翌日、電話がかかってきました。
先生は、「覚えているさ、あのころはボクにとっても忘れられない時代だったよ」と言って下さり、いてもたってもいられずにクラス会を計画しました。
今から20年もまえのことです。

 

さて、前おきが長くなりました。
小学校の6年生と言えば楽しみなのが修学旅行だもね。
今なら、小ちゃい子でもどんどん海外まで行くけど、当時は一泊でもそりゃもう大変なイベント。
この時は、現在なら札幌から2時間もあれば行ける洞爺湖温泉が宿泊地でした。
だから先生も、安いお給料から奮発したんだべね。
8ミリカメラを買って、修学旅行の様子を撮影しました。

 

 

その8ミリフイルムで取った映像は、数年前にDVD化され、私たち生徒に渡されました。
登場する子ども達は、今はみんなジジババに変身しちゃったけどね、よく見ると、その背景も現在とは随分と様子が違ってますよ。

 

 

■ 今はない札幌市営バスで修学旅行

まずは、今から48年前(昭和44年)の札幌市営バス!
薄い肌色に赤い線が入っていました。
札幌市営バスは、現在は走っていません。

さあ、洞爺湖が見えてきました。

 

 

■  洞爺湖の歌がある

可愛らしいバスガイドさん。
小学校の修学旅行には、新人のガイドさんが乗ることが多かったようです。
このバスガイドさんはきっと20歳くらいでしょうか。

洞爺湖の歌があって、ガイドさんが

♩とうやーこ とうやーこ とうやーの こ〜は〜ん〜・・・♩
と、きれいな声で歌いました。
あとで調べてみると、『洞爺湖畔の夕月に』という歌でした。

♪♪君をたずねてめぐれば湖は 碧い愁いの瞳をうるませて
きょねんの道に草の花咲き 旅の口笛せつなく消える
洞爺湖 洞爺湖 洞爺の湖畔♩♩

 

バス車内の、ガイドさんの上に見える時計を見て、旦那さんは
「懐かしいなあ〜」ですって。
ああ、そういえば、昔のバスにはこんな時計が付いていましたっけね。

 

こちらは洞爺湖の旅館から出発するときの様子です。
旅館の人が、テープを持って見送ってくれています。

 

■ 有珠山は20数年に1度噴火する?活火山

有珠山ロープウェイです。
定期的に噴火を繰り返している有珠山は、このあと1977年(昭和52年)と2000(平成12年)にも噴火。
2000年の噴火では、火山灰に覆われた家や工場など、その地域は現在 有珠山ジオパークとして保存されています。

■煙りがモクモクだった昭和新山

こちらは昭和新山です。
昭和18年(1943)から、たったの2年足らずで麦畑からいきなり隆起した溶岩ドームが昭和新山。
修学旅行のときの映像では、まだ煙りがモクモク出ていたのがわかりますね。
にもかかわらず、映像では子ども達がどんどん山に登ったりしてましたよ。
下の写真が現在の昭和新山です。
煙りがほとんどなくなっていますね。

 

 

昭和44年ころ

修学旅行はこのあとは、オロフレ峠から登別の地獄谷へ進みます。
続く・・・・・

 


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