ススキノにある老舗の寿司店、『東寿し』(あずま寿司)が破産・・というニュースを見ました。
若い頃の勤め先が近くだったもので、スリムな5階建てのビルを見たときは、
”このビルの、ぜーんぶが お店 なの? ” と、『東寿し』の大きさと立派な看板に圧倒されたものでした。
■ 『東寿し』 はススキノの老舗の寿司店
当時は今のような回転寿司はないから、どのお店も回転しないお寿司屋さん。
今でこそ、若者達が気軽に行けるリーズナブルなススキノだけど、昔のススキノは華やかでしたよ。
その中にあって、『東寿し』は押しも押されもしない、今でいうならブランド寿司店だったもんね。
『東寿し』のすごいところは、広いスペースがあって、そのうえ一流の和食が味わえたことでしょうか。
大人数が集まる行事や、あらたまった会合など、様々な用途にも対応できる、札幌でも数少ないお店の1つだったように思います。
実際に、『東寿し』のお部屋で、結納した人も知ってる。
それは旦那さん・・・ということは私さ。
いや〜〜あの頃は花も恥じらう乙女だったもね〜。
30数年も前の話しよ。
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■ 遊郭、キャバレーの時代も
新聞記事によると、収容人数は約500人を誇り、一時は社員数が100人を超えた日本有数の「大型すし店」として知られた・・とありました。
東寿しの操業は1875年(明治8年)だそうです。
札幌の開拓が本格化したのは明治3年ころ。
大勢の大工さんや人夫、職人さんたちが必要になり、札幌には労働者が押し寄せてきたそうです。
そうなると当然のように男子のためのお店も出来ちゃうわけね。
でも勝手にあちこちに出来ちゃうと、お役所の目が届かなくなっちゃうし、かと言って、そういうお店もないと、労働者達が内地に帰っちゃったりするかもしれない。
そりゃ困る。
それで、男子に、この地にとどまってもらうために、わざわざ遊郭などを集めた場所を作ったのです。
それがススキノ。
遊郭の町だったススキノは、大正時代になってからキャバレーやバーなどに姿を変え、さらに大繁盛!!
数年前まではエンペラーっていう有名なキャベレーもあったわね。
『東寿し』は、そんな明治の時代から、大正、昭和、平成へと、札幌の歴史を一緒に重ねてきたんですね。
141年間続いた札幌の老舗がまたひとつ、姿を消しました。
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