北海道・札幌発・だべさ通信5

長崎平和公園から今なお残る原爆の跡へ

長崎平和公園を通ってから、今なお残る原爆の跡を見て歩く事にしました。

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長崎平和公園へのアクセスは市電、浜口町か松山町で下車です。
詳細はこちらで確認!時刻表 – 長崎電気軌道

「原爆落下中心地」にあたる平和公園。
シンボルの平和祈念像までは上りの階段がずーっと続くけれど、ここにもエスカレーターがあるから安心です。
このエスカレーター、途中で平になってまた登るんです。
初めて乗ったもので感心しちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

このレンガの柱は、このあとに行く、浦上天主堂の一部だそうです。

 

 

 

 

 

こちらは、護岸工事の時に見つかった、原爆が投下された当時の地層。
『昭和20年8月9日11時2分、米軍機B29から投下されたプルトニウム原子爆弾(ファットマン)が、この地の上空約500mで炸裂、15万人の死傷者を出した。
この地層は原爆によって壊された家の瓦やレンガ、熱によって焼けた土や溶けたガラスなどが今でも大漁に埋没している』
とありました。

 

生活の跡が今でも残っているのは生々しい。何も言えなくなってしまいました。

 

さて、ここからは浦上天天主堂に行ってみましょう。

 

こちらは新しい浦上天天主堂です。
建物のすぐ脇には、減額が投下された当時の浦上天天主堂の鐘楼が残っています。


こちらは鐘楼をを内側から見たところ。
裏に回ってみるとわかりやすいです。
向かって右側がてっぺんの部分になります。
美しい現在の天主堂だけを見てしまうと、当時の事は、なかなか印象がつかみにくいものです。
でも、残骸を残しておく事で、原爆の威力のものすごさを、少しは感じる事ができました。残すという事は、とても大切だと思いました。

 

 

 

平和公園にあった浦上天主堂の柱は、↓のこの部分だそうです。

 

さて、続いて行くのは、原爆よって半分だけ残された鳥居と、生き残ったクスの木です。

ここは、爆心地から南東に800mの距離にあったそうです。
そんなに離れているにもかかわらず、片方の柱が壊されている。
でも、もう片方がしっかり立っている姿はすごい。
現在は、安全のために、ちゃんと補強をして倒れないようにしているそうですよ。

 

 

壊れたもう片方の鳥居は、今でもそばに保存されていました。

 

 

こちらは境内の裏にある2本の大きなクスの木。
原爆が落ちたとき神社は全焼。
このクスの木も木肌が焼かれて枯れる寸前だったそうです。

幹の写真右に大きな穴が開いていて、爆風で吹き飛ばされたと思われる大きな石が入っていたそうです。

その大きなゴツゴツとした木肌に思わず触れてしまいました。
私はあなた達にお会いできて光栄です。

 

 

 

いたる所にある大きな手当の跡。

 

歴史を本で見るのは簡単だけど、実際に手に触れたり見たりしてみると、五感を通して心の奥までしみてくるものがありました。

長崎市公式観光サイトでは長崎観光のモデルコースなど、行ってみたい所のマップやアクセスなど、詳しい情報が載っていて便利。

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