北海道・札幌発・だべさ通信5

解体決定 空から見る北海道百年記念塔

 

解体が決まった北海道百年記念塔

見えて来た茶色い塔は、札幌市厚別区にある『北海道百年記念塔』です。
北海道の開道百年を記念して建てられたもので、高さは100年にちなんで100mだそうです。

 

ということは、記念塔が建てられてから、かれこれ50年。
以前は塔の中にも入れたんだけど、現在では老朽化が進み危険という事で入ることはできません。
北海道は解体する事を決めました。

 

 

 

 

開道百年の記念式典には私も参加

 

今年、北海道は命名150年です。
色々な記念行事が開かれていますが、開道百年の時にも盛大な記念行事が行なわれたんですよ。
その時はさあ、私10歳。
札幌の小学校の子ども達で大きな鼓笛隊が編成されて、昭和天皇の前で演奏を披露した事を覚えています。


青いベレー帽とスカートだったかな。

今でも、当時の鼓笛隊に参加された方が、札幌のあちこちに住んでいらっしゃるのではないでしょうか。
演奏が終わると、その場に体育座りをしなくちゃいけなかったのですが、その日はあいにく雨がぱらつき、地面もジメジメ。
あの時は悲しい思い出になったっけな。

 

 

北海道百年記念塔は、高さが100mですから真下から見上げると高くて背中が反り返っちゃいます。
塔の先の向こうの空には真っ白い雲が悠々と動くもので、一瞬、塔がこちらに倒れてくるという恐怖の錯覚に陥ります。

 

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北海道という文字に秘められた本当の意味

 

『北海道百年記念塔』は、北海道の開道百年を記念して建てられたと書きましたが、150年となった今、その名前は『北海道命名150年』となりました。
『開道百五十年』ではありません。

 


150年以上も前から和人は住んでいたし、すでにアイヌの人達も住んでいた北海道。
今の時代に『開道150年』という言葉がふさわしいかとなると、やっぱり違うよなあって思ってしまいます。

 

 

 

『北海道命名150年』は、北海道という名前の名付け親と言われる探検家『松浦武四郎』という人が考えた6つの案から決まった名前だそうです。
松浦武四郎は、アイヌの人たちの協力を得ながら北海道を探検する中で、自分たち(人間)の事をカイと呼んでいたアイヌの人達のことを思い「北加伊道」(ほっかいどう)という文字をあてたと言われています。
けれど、結局その文字は採用されず、現在の『北海道』になりました。

 

 

確かに『ほっかいどう』は松浦武四郎が考えた名前の1つではあるけれど、彼は自分の願った本当の「北加伊道」ではないことに失望したと言われています。
歴史はいつの時代も、強い者たちだけで作られるものです。

百年記念塔が解体されたあとには、小さなモニュメントが作られるとか。
そこからは、もっと暮らしよい新しい北海道が始まったらいいなあ。

北海道の名付け親の松浦武四郎は『北海道』はイヤだったのお話>>

 


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