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正宗さんから頂いたコメントで思い出した写真があったので再登場。
道庁赤レンガ内の資料室に展示されていた、『諸藩分領支配図』です。
もともと住んでいたアイヌの人たちにくらべて、本州から集まってきた人たちは、慣れない北海道の厳しい冬に、次々と命を落としていったそうです。
この図によると、金沢藩は礼文島、宗谷など、北海道の北の果てを。
熊本藩、名古屋藩は東の果て、根室に来ていたのですね。
実際には、他にもいろんな藩や開拓団の人たちが、入れ替わり立ち代わり、やってきていました。
伊達藩は、この図に示されている他にも多くの地域に開拓のクワをおろしましたそうです。
登別の伊達市もその名残ですね。
正宗さんのお話によると、私の住んでいる手稲区にも伊達藩の開拓の手があったとか。
今更ながらお礼いたしまする。感謝感謝・・・
北海道の気質は、習慣にとらわれないとか、合理的とか言われるのには、こうした背景があったからではないでしょうか。
故郷を遠く離れ、北海道にやってきた多くの人たちは、きっと空を見上げて、故郷を思い出していたのでしょうね。
皆さんの藩の人は、北海道のどのあたりにやってきたのでしょう?
もし見つけたら、北海道のその地域に、思いをはせてみてはいかがでしょう。
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