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映画『遺体 明日への十日間』を見たすみれさんが感想を寄せて下さいました。
”東日本大震災発生後、遺体安置所に次々に運び込まれる遺体に、主人公の相葉常夫(西田敏行)が優しく語りかけるシーンが泣けてきました・・・・・・”
そしたら、ふと『洞爺丸台風』の事を思い出しました。
『洞爺丸』という船は、昭和63年まで青森と北海道の函館の間をを結んでいた青函連絡船の一隻で、1954年(昭和29年9月26日)の台風15号によって船は沈没。死者は1100人以上だそうで、その被害の大きさから『洞爺丸台風』と名付けられた船です。
ある花屋の主人が、そのあまりにも損傷のひどい遺体を見て、一体ずつ清めてご遺族に引き渡しました。そこから納棺師という仕事が生まれたそうです。
ややもすれば目を覆いたくなるだろう状況の中で、遺体と接する主人公が、この花屋さんと似ているなあと思いました。
幸か不幸か、私はもう何人もの納棺師さんが支度をして下さる姿を見てしまいました。
でもその様子に遭遇すると、不思議と”いってらっしゃい”と心の準備がでるのです。
きっと本人もそう思うのに違いないと思うのです。
映画『遺体 明日への十日間』の主人公は、今だ見つからない家族の変わりに、寄り添ってあげた人なのですね。
初めて知りました とても勉強になりました
映画の中で 西田さんが あそこにいる方々は死体ではなく ご遺体なんです と泣きながら言うセリフにも 感動しました
荒々しく遺体を運んでくる人達がいて 死後硬直している人を力まかせに上から押して遺体の取り扱いにも思いやりがありませんでした 西田さんは見かねて こうやって揉んであげたら自然と硬直が取れるんです優しく優しくしてあげてくださいと言うんです
それから皆さん 接し方がかわっていくんです
おくりびと(映画)見たでしょうか?納棺師の指導をされたのが道内の納棺師さんだったと聞いた事がありました
1年半前に義父が亡くなりました 病気でずっと入院していたのですが 急に様態が悪くなって1人ぽっち朝方 逝ってしまった様なのです 実家へ駆けつけ 丁度 納棺師さんが支度をしているところでした 最後に声をかけてあげて下さいと言われ 次々声をかけていました 私の番がきて でも なぜかわからないのですが?声をかける事が出来なかったのです いまでもそれを悔やんでいます
この映画を見ていたら もっと違った行いが出来たはずでした
遺体に接した時も もちろん生きている人たちにも 言葉をかけるという行動は いかに大切であるかと言うことが理解できました
すみれさんへ
声をかける事が出来なかったとしても、心で声をかけていたのですよね。
私も、同じでしたよ。
回りの人と違う事で自分を責めなくても、私は私と思うようにしています。
現し方が違うだけで、逝く人を思う気持ちは同じなのですから。