大晦日の晩に、”おせち” やオードブルといったごちそうを食べる習慣があるのは、北海道と東北の一部だと聞いた事があります。
私はそれまで、日本中がみんな大晦日におせちを食べるものだと思っていました。
でもそれにはね、理由があったんです。
まとめてみると次のような事になります。
『おせち料理が今のような形に近くなたったのは江戸時代。武士の間から広まったそうです。
当時の暦は太陰暦。太陰暦は太陽が出ている間がその日の一日。太陽が沈んだ瞬間からはもう翌日です。
つまり大晦日は日没までで、日が落ちた瞬間からは新年という事になるのだそうです。
そんな ”おせち” の習慣は江戸から東北に、やがては北海道にも伝わりました。
ところが明治5年、日本は新しく太陽暦に変わった為に、午前0時からが翌日という事になったのです。
大晦日におせちを食べる習慣が残っている北海道と東北の一部では、太陰暦だった当時の習慣が、今でも残っているのです。』
いや〜〜〜いかったです。
北海道民は、みんな子どもみたいに待ちきれないーとか、せっかちーとか、そういう理由だったらどーしましょうと思ったも。
私なんかさ、夕飯の支度をしながら味見ばっかししているっしょ、だからもし、それが理由だったら認めざるをえないもね。
でも違いました。道民の皆さん、これからもしその理由を聞かれたら、
『そもそも ”おせち” というものは江戸時代から庶民に普及し・・・・』と、
おせちの歴史について語ってやろうじゃございませんか!
PR
これで今年の大晦日は、お母さん(私)の ”おせちの歴史” についての講釈から始めてやっかな。
いや、やっぱしやめとこ『早く食べるべや』って言われそうだも。
皆様の所ではいかがでしょう。
元旦派、それとも大晦日派。