北海道・札幌発・だべさ通信5

小樽港には、防波堤を築いた建築家の魂も眠っている

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小樽の港を出る時は、防波堤の間を通り抜けて行きます。
大きく分けると、赤い灯台側の北防波堤と白い灯台側の南防波堤です。

 

 

最初に出来たのは北防波堤。
1897年から広井勇という人の指揮で工事が始まりました。
普通のコンクリートじゃダメダって事で、まずは、頑丈で特殊なコンクリートを開発する事から始まったそうです。
さらに波の圧力を計算するなどして、斜めにカットしたブロック(傾斜ブロック工法)を取り入れました。そして11年後、1289mの長い防波堤が完成しました。

 

 

今度は南防波堤です。
南防波堤は、先に完成した北防波堤を指揮した広井勇の弟子のような存在の、伊藤長右衛門(いとうちょうえもん)という人が引き継ぎました。
このお弟子さんがまたすんごい人で、陸上で作った大きなコンクリートの部品(ケーソン)を、船の進水式のようにすべらして海に浮かべて運ぶという方法を考えつきました。
南防波堤は完成まで13年かかり、大正10年に完成、最初の北防波堤の着工から24年が過ぎていました。
それから、留萌港、室蘭港、釧路港も手がけました。

 

 

 

・・・と、ここまで本を読んで、ほ〜〜そうなのか〜〜で終わるとこなんだけど、最後に気になる事が書かれていました。
南防波堤の建設の指揮をしたという伊藤長右衛門さんは、その後、数多くの防波堤を手がけましたが、
『死んだら防波堤に埋めてほしい』という遺言を残したそうです。
師匠と手がけた小樽の北防波堤の先端に、長右衛門さんの遺言通り、遺骨が納められているというのです。

 

 

その事を知ったので、フェリーが小樽港を出航して防波堤を通り抜ける時は、甲板に出てみようと思いました。
小樽の防波堤は、完成から100年以上たった今でもしっかり活躍していてすんごいね。
長右衛門さんが見守り続けている防波堤は、特殊なコンクリートや工法に今でも、世界から注目されているそうです。

 

 

 

 

 

北防波堤の先に記念碑のようなものがありました。

 

 

 

 


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