札幌南区にある『もなみ公園』は、広くて整備されたきれいな公園です。
横を流れる豊平川は、雪解け水で大きな流れになっていました。
土手を降りた所に『おいらんぶち(花魁淵)の由来』と書かれた看板があります。
ここには、悲しいおいらんの伝説の事が書かれています。
『それは明治28年、すすき野の呉服店の若旦那が上京したさい、吉原遊郭のおいらんを身請けして連れて帰りました。
けれど3ヶ月もすると、おいらんは東京に帰りたいと言いだしたので、若旦那は奥座敷に閉じ込めてしまいます。
そんなある日、おいらんは座敷牢を破って逃げ出し、数日後、この岸壁のある河原で水死体がみつかりました。
川辺には、高下駄と蛇の目傘が置いてあったという事です』
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このお話が事実かどうかは、わかりません。他にも説があるようなので。
でも明治時代に、すすき野には沢山の遊郭があったそうだから、悲しい運命をたどった多くの女性がいた事は事実でしょう。
すすき野からここまでは、距離にすると6〜7キロくらいかな。
必死にここまでたどり着いた時の気持ってどんなだろう。
きっと、身も心もボロボロよね。
ここに立って いると、どうにもならない時代に生きた 女性の悲しい気持が、ちょっと、伝わってくるようでした。