北海道・札幌発・だべさ通信5

札幌市時計台が修繕工事、改めて知る市民が大切にしてるわけ

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札幌の時計台が、2018年度に外観部分の補修工事をする事になりました。
前回の工事から20年も経っていて、屋根も壁も老朽化しているためだそうです。
工事のために足場やシートで覆われてしまうので、生まれ変わった時計台の姿が見られるのは数ヶ月後。

観光で見に来た方には、ちょっと残念ですね。
私は札幌に住んでいながら、時計台に初めて入ったのは数年前のことです。
その時の写真と、ガイドのおじさんが教えてくれた事をご紹介しますね。

 

 

■ 札幌市時計台の内部は資料館

時計台は当時の札幌農学校(今の北海道大学)の施設の1つで、『青年よ大志をいだけ』のクラーク博士が帰国した後にできた建物です。(1878(明治11)年10月完成)
本当の名前は「旧札幌農学校演武場」。
当時、1階は研究室や講義室などに、2階は演武場になっていました。

写真に撮ってあった時計台内の床。
黒光りしていて、時代を感じさせますね。

資料室になった今の時計台の1階には、時計台の歴史や、日本の基礎を築いた卒業生の資料、それから、クラーク博士の資料などが展示されています。
クラーク博士が生徒達と手稲山を登った事も書いてありましたよ。

鍵が懐かしい時計台の窓。

 

下の写真、窓の右側にあるベージュ色の大きな柱みたいなもの。
その下に、星のマークが付いている小さなドアのようなものがありますね。
これは、私達の年齢の道産子には懐かしい、集合円筒だと思う。
円筒だから、柱の中は空洞。
この上の方に煙突を差し込む穴が開いていて、ストーブの煙突を差し込むようになっています。
この集合円筒の上が、屋根から煙突となって飛び出しているわけ。

冬が終わる頃になると、けっこうススがたまっています。
この小さな鉄の窓は、ススの取り出し口です。

こちらは、札幌農学校の卒業生。

パネル左下、昔の500円札の新渡戸稲造さんのノートがこちら。

 

 

窓から見える風景は、当時の手作りの窓ガラスなので外が歪んで見えます。
自転車のタイヤが四角だし、道路の白線も曲がって見える。
北海道庁の赤れんがの窓ガラスも、同じように歪んでいました。
実は、このときの時計台のガイドのおじさんに教えて頂いたのが最初です。

 時計台は『演舞場』じゃなくて『演武場』

2階部分の踊り場。
左側がホールになっています。
当時は『演武場』。今でいう体育館として使われていました。

私はてっきりダンスをする場所だったのかと思いました。
勘違いする人が、けっこういるそうです。

この演武場の中には柱がありません。

バルーンフレーム工法と言って、柱で家を支えるのではなく壁で支える工法です。
ガイドのおじさんのお話によると、現在のツーバイフォー工法の基礎だそうです。

札幌の時計台はハト時計

当初、時計台には時計塔はありませんでした。
あとになって時計を付けようという事になったんですけど、アメリカから送られてきた時計が予想外の大きさ。
一時は別な所に設置しようかとも言われましたが、工事をして、なんとか設置したという事です。
だから札幌の時計台の時計塔は、よく見ると頭でっかちですね。

 

時計台の仕組みの模型が置いてあります。
時計の仕組みは鳩時計と同じなので、今でも時計屋さんが重りを上げにきている事や、重りの中身は当時の豊平川の石が入って入る事。
消耗品以外、全て当時のままの部品で動いている事などを知りました。
だから時を知らせてくれる時計台の鐘の音は、130年以上たった今でも、当時と同じ音色なんです。

 

 

時計台と言えば、『日本三大がっかり名所』の1つだそうです。
ビルに囲まれた時計台は、そこだけ小さい異空間だし、回りには車がビュンビュン走っている。
時計台の写真を見て想像していた回りの景色が違い過ぎ・・・・

でもね、勘弁して下さい。
以前、北海道らしい風景のある場所へ移そうかなんて話もあったのですが、今でもここにあるのは、札幌市民が大切にしているからなんですよ。

『道庁赤れんが庁舎の歪んで見えるガラス窓

 

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