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札幌から浅草・鎌倉1泊2日の旅 (2)
『忠臣蔵』は、赤穂浪士たちが亡き殿様の仇討ちをする物語。
その赤穂浪士のお墓があるという泉岳寺(せんがくじ)に行きました。
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忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のあらすじ>>
赤穂藩主、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は、江戸城の松の廊下で、いつも意地悪される吉良上野介(きらこうずけのすけ)についにキレちゃって刀で斬りつけてしまう。
『殿中でござるぞ!!(お城の中でなんちゅうことを!)』
内匠頭(たくみのかみ)は切腹、切られた吉良上野介(きらこうずけのすけ)はおとがめなし。
”意地悪な吉良だって悪いのに、これじゃ、わが殿がうかばれない !”
浅野内匠頭の家臣たちは、ひそかに仇討ちの計画をたてるのであった。
そして1702年(元禄15年)12月15日、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)以下47人の赤穂浪士たちは、寝静まる夜に吉良邸に討ち入り、ついに吉良上野介を見つけだす。
それから吉良上野介の首を持って泉岳寺までの約13kmを歩き、殿の墓前に供えたのであった。
それから悲願をはたした家臣たちは、大石内蔵助 が ”仇討ちの事を報告をせよ” と命じた一人を残し、全員が切腹してはてたのであった。
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以前は、(特に昭和の頃)毎年この日になると、ドラマや映画がテレビで『忠臣蔵』が放送されました。
それを両親と一緒に真剣に見たもんです。
『どこを探しても吉良は見つからない。もうすぐ夜明け・・・・』
ストーリーはわかってるんだけどさ、画面から目が離せなかったもね。
家臣の一人が物域小屋を不振に思うシーンでは、息をのんで ”そこそこ そこだあ・・!!” とテレビにテレパシーを送ったさ。
『物置の戸を開けると、そこに、うずくまり震えるねまき姿の吉良を発見する』
『吉良殿でござるか?』
とうとう見つけた!よかったよう・・・・。
仇を打ち、忠義をはたした赤穂浪士たが最後に一人ずつ切腹していくシーンでは、
ただただ涙涙・・・鼻水涙・・・
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前置き長し・・・というわけで、その、赤穂浪士たちが眠っているというお墓があるのが泉岳寺です。
泉岳寺のすぐ傍に、大きなビルが建つそうで、こんな看板が!!
現実的な問題だ。
それじゃあ入ってみます。
境内にはお土産物やさん。
赤穂浪士の大石蔵之介さんが持っていた陣太鼓が、今ではカワイイ
おみやげに。
さて、ここが、吉良上野介の首を洗った井戸だそうでございます。
一番大きなおこのお墓が、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)のお墓。
『忠臣蔵』の事件は、実際にあった事とはいえ、のちに色々脚色されて、善悪がわかりやすい物語に変わっていったそうです。
ドラマはドラマ。
歴史の事実とは、ちょっと切り替えて見る事が大切かなあと思います。