北海道・札幌発・だべさ通信5

アイヌの文化にふれて・・・平取編その3

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私の住んでいる札幌の手稲(ていね)は、アイヌ語で『タンネウェンシリ=長い断崖』という意味だそうです。
札幌も「サッ・ポロ」sat-poro(乾いた大きい)という意味の説が有力だとか。

 

 

さらに、北海道には読み方のわかりにくい町の名前もいっぱいあるっしょ、たとえば
倶知安(くっちゃん)「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」とか、
愛冠(あいかっぷ)アイカップ・ピラ「矢の届かぬ崖」など、地名や山・川の名前には、アイヌ語が多く使われています。
北海道ウタリ協会によると、『アイヌ民族は、おおよそ17世紀から19世紀において東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、サハリン(樺太)、千島列島に及ぶ広い範囲をアイヌモシリ(人間の住む大地)として先住していました。』とありました。

 

 

平取の『二部谷アイヌ文化博物館』に立ち寄ったので、ちょっと見学してみませんか。

 

 

 

 

 

 

これは昔、アイヌの人たちが履いていた鮭の皮で作った靴だそうです。
左下にあるのは、動物の膀胱で作った水筒です。

 

 

 

 

これは手の甲を覆っていたものです。
アイヌ刺繍はとても精密で、奇麗な模様をしていますね。

 

 

1本の丸太を削って作った船。
穂先に付いているフサフサしたものはイナウと言って、神様への伝言や捧げものをするときなどに使った神具です。

 

 

アイヌの言葉

 

 

さて今度は、道路を渡ってすぐ傍にある『萱野茂二風谷アイヌ資料館』に行ってみます。
屋根の先に付いているのは熊のモニュメント。
帰宅してから旦那さんに言われて気づきました。見ればいかった、いたましかった〜(もったいなかった)。

 

 

 

 

 

 

萱野茂(かやの しげる)さんは、日本のアイヌ文化研究者(学術博士)で、ご自身もアイヌ民族でアイヌ初の国会議員でした。

 

 

入り口に、萱野茂さんの家系図が貼ってありました。
4代も前のご先祖の名前もわかっているのですね。

アイヌ民族は文字を待たなかったと聞いた事があるので、受付の女性に訪ねてみました。

「そうです。アイヌはみんな口伝えで残していたんですよ」

系図に指を差して、「本人(萱野茂さん)は、祖母の『てかって』さんがアイヌ語しか話せなかったことで、アイヌ語も日本語も両方話す事ができたんです」
そうなんですか。

 
さらに続けて
「この図では、男女の区別がわかるように、男性はカタカナで、女性はひらがなで書いてあります。系図の上の方を見ると、昔は名字がありませんでした。それから、アイヌ語の名前と和名の名前、ふたつ持っていた時期もありました」
ほんとうだ。
アイヌの歴史をちょっとかいま見た思いがしました。

 

 

それにしてもここは、普通のお宅の敷地のような感じです。
「はい、自宅はそこですから」
ということはもしやのこ家系図のどこかに・・・
彼女は家系図に指を差して
「ココです 今の館長の妻 ホホ」
!!!!ま、まあ・・・
大変勉強になりました。ありがとうございました。
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以前に撮影した写真があったのでup。
白老のポロトコタン 2006.7

 

 

白老のアイヌ民族に伝わる伝統的な踊りで、丹頂鶴を表しているそうです。

 

 

熊の霊を送る儀式イヨマンテ。

 

 

 

 

昔のアイヌの人の食事を再現したもの。あっさり塩味でした。

 

 

 

 

阿寒にて 2010.7
ムックリという楽器を弾いています。
口に加えて、弦をはじきます。

 

 

 

 

今日は、すんごく長く書いてしまいました。最高新記録?!
生き物は神様からの贈り物、道具にも命が宿ると考えて、すべてのもに感謝しながら生きたというアイヌの人たち。
機会があれば、ぜひ触れてみて下さい。
最後までお付き合い頂いてありがとうございました。

平取の記事
まずは牛と馬とトトロがお出迎え・・平取、二部谷その1

富内線の跡は振内鉄道記念公園 平取その2

義経とアイヌの伝説・・・平取編その4

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