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鉄道の富内線は、1986年に廃止された北海道のローカル線です。
旦那さんが「まだ線路が書かれている時の地図持ってるぞ、ほれ」と言って、背表紙にセロハンテープを貼っている、ちょいボロの道路地図を出しました。
本当だ、これいつの地図さ。
「いつのだべな。でも、載ってるべ、だから投げられない(捨てられない)んだよなあ」
と、ちょっと得意。
でもほんとだね。
『振内(ふれない)鉄道記念公園』に、蒸気機関車D51が展示してありました。
もう随分と長いこと、ここに置かれているのでしょう。鉄は錆びて、すき間からは苔が生えてます。
振内鉄道記念館
『振内(ふれない)振内鉄道記念公園』に置かれている客車は、夏の間はライダーハウスになっているようです。
『一泊600円。5月から9月まで』となっていました。
ライダーの皆さん、北海道に来たら、平取のライダーハウスに来て下さいね。格安です。
『国鉄北海道ローカル線』という写真集に載っていた、汽車が走っていた当時の振内駅です。
駅に大勢の人が集まって、振内=日高町との開通をお祝いしている写真ですね。
左奥の方には、山から切り出されたと思われる木材が積まれています。
汽車(列車)は止まっているけど、線路に降りている人もいます。
そういうのどかな時代でしたね。私、7歳でしたわホホ・・
富内線(とみうちせん)は、クロム鉱や石炭、木材などを多く運んでいたそうです。
私が見た函館本線の蒸気機関車も、石炭を山のように貨車に積んでいたので、時々、石炭がパラパラと落ちました。だから線路には石炭が点々と転がっていたんですよ。
きっとこの汽車も、そんな重たい貨車をいくつも連ねて引っ張っていたんだと思います。
ね、そうでしょ?
頑張ったもね。
平取の記事
まずは牛と馬とトトロがお出迎え・・平取、二部谷その1
へぇー振内に鉄道記念館なんて あったんですね
小樽だったら行ったことあったんですけど♪
めちゃめちゃローカル 笑
そーいえば 夫の親戚のおじさんが 炭鉱で働いていたと?・・
おじさんは馬車で石炭を運んでいたみたいです 山から・・・せっせと駅などへ往復したのでしょうね?毎日(おじさんは90歳)
地図を見て・・・いけうりって 池売こう書くのか?と初めて知ったのです 実は夫の生まれは 正式にいったら 振内の近くの 池売ってところで生まれ育ちました 池売って言っても多分わからないと思って・・・振内に 笑
実は 不思議は続くのですが 私が短大を卒業し福祉施設に就職この時 調理員として働いていた人が 実は夫のおばあちゃんの姉の娘だったのです しかもこれは結婚の案内状を送ったときに知った事でした ちょっと怖いくらい?・・夫と出会う前から縁があったということになります 笑
富内線(沼ノ端~豊城)は大正11年に開業し、鵡川~豊城~振内~日高町に続き、昭和61年11月に廃止になりました。蒸気機関車のD51のDは動輪が4つ有る事を表しています。チョイ悪爺ぃやは中国・旧満州帝国で活躍した特急「アジア号」の機関車を瀋陽市博物館で見たよ。動輪の直径が2メートルも有り、石炭とガスの混合で火をたいていました。日本の川崎重工製でした。(鉄子さんへの報告でした)
すみれさんへ
おじさんは90歳!!婆ちゃんも先輩!それはお元気ですね。
昔はホント大変だったと思います。
結婚式のお話、またまた不思議なご縁だったのですね。
きっと、遠い昔も、未来でも、お二人はご夫婦なのかも。
チョイ悪爺ぃや さんへ
さすが~~。動輪が4つの話しも、初めてしりました。教えて頂きありがとうございます。得しました。
中国で機関車を見たときは感動したでしょうね。
日本を離れても、頑張っていたんですね。