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北海道には、いくつかの義経伝説が残っていまが、平取(びらとり)にはなんと、義経神社がありました。
伝説によると、『義経は、平取のアイヌたちに農耕や舟の作り方などを教えたり、若者には武術を伝授するなどして、アイヌの人達から”判官カムイ”と言われて、とても慕われていました。
『判官』は義経のこと、カムイは神様という意味です。
その後 義経は、若者を引き連れて、大陸に渡っていきました。』
義経は岩手県平泉の衣川で自刃したんでないの?
いえいえ、実は生き延びて、蝦夷地(北海道)に渡っていたのでございます。
さてここで、3択に分かれました。。
平取のアイヌの人達が信仰していたのは、オキクルミという神様だったそうですが、
その1・・・・その神様こそが義経だった!という説。
その2・・・・そうじゃなくって、オキクルミは宇宙人だった!・・・という説。
その3・・・・いやいや、オキクルミはオキクルミで、義経じゃないべさ・・・という説です。
義経が死んでいないと思われる根拠があります。
衣川で自害したという義経の首は酒漬けにされて、43日間をかけて鎌倉まで運ばれたとありますが、
6月の暑い時期、43日間も酒漬けにされた首って、どうなのよ・・・・腐って判別不明・・・ちゅうことはもしかして本物は生きていたんでないの?
真相とも思える答えが、義経資料館にありました。
『義経を、そう簡単には死なせたくないという民衆の気持ちや、理想の支配者像を義経に求めた東北の武士たち、そして鎌倉幕府を倒すために義経が再び戻ってくることを願った京都の公卿たちが、義経生存逃亡説を生み、英雄となった義経は、各地で様々なエピソードを残し、大陸にも渡ったと言われているのです。』
さあどうですか?
信じるか信じないかは、あなたしだいです・・・・てか。
平取の記事
まずは牛と馬とトトロがお出迎え・・平取、二部谷その1
鎌倉育ちの私は義経は頼朝と同様にみじかな方です。腰越という場所の満福寺というお寺で頼朝の怒りをとくために書状を書いたそうです。腰越は江ノ電の駅です。鎌倉に行く機会が会ったら是非いらして下さいね。私も義経さんは生きていたと思いたいです。
生々しい話?ですね 酒漬けってのが凄い 勉強になりました
義経神社 何度か訪れています
高台にあって 眺めがいいところですよね 清々しいです
母の弟が ここで結婚式をあげたそうです
昔は きっと地元の神社で 盛大に街の人をよんで盛り上げてもらったのではないでしょうか?
ここは道路に面したところに神社の鳥居があって目をひきます
存在感バッチシで秘かに私の中ではパワースポットの1つですね
おお!ここが噂の。
討ち取った首を塩漬けにして運ぶのは知っていましたが
酒漬けというのもあったのですね。
おそらく、お酒も今のとは違うわけで…。
昔の武将はすごいな。
今の人なら間違いなくPTSDになっちゃいますよね。
あー、だから怨霊伝説なんかも生まれるのか…。
へろへろさんへ
そうでした、鎌倉!!
へろへろさんは、伝説ではなく、歴史的な事実の世界で、義経はとても身近でいらしたんですよね。
失礼いたしました。
腰越は江ノ電の駅・・・そうなんですか。
お話を聞いていると、鎌倉が身近に感じられて、行ってみたい気持ちが強くなります。
すみれさんへ
結婚式ですか!
階段を上がり終えた神社の境内は、別世界でした。
建物にも歴史を感じました。
おごそかな気持ちになりますね。
たしかに、大きな鳥居は目をひきますね。
分かりやすいです。
ほ~んと存在感バッチシです。
もみじさんへ
PTSD!!
うわ、もみじさんの感性はすごい。
PTSDなんて私は思いもつきませんでした。
確かにまったくそのとおりですよね。
聞くところによると、お酒のアルコールだから腐らないかというと、そうではなく腐るんですと。
想像しただけでPTSDになりそうな感じですも。
台風の16日夜、チョイ悪爺ぃやは福井の娘の所に行く為飛行機で小松飛行場にに飛びました。そこは、安宅関で、義経・弁慶師従が、朝頼に追われ、平泉の藤原氏を頼る逃避行の途中で、関所の富樫に尋問される有名な「勧進帳」の舞台となったところです。もちろん、平泉を得て北上し、北海道へ渡った事と言われています。そして、モンゴルに渡り、「ジンギスカン」になったと言われています。(ロマンだねー)
チョイ悪爺ぃや さんへ
飛行機はゆれませんでしたか。
交通機関は大変だったと思いますが、娘さんとの嬉しい時間を過ごされたのはよかったですね。
実際の歴史を見る事はできませんが、だからこそ、ロマンなんですね。