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今が旬のアスパラ。
北海道の岩内町には、『日本のアスパラガス発祥の地』の碑が建っています。
岩内の郷土資料館の館長さんのお話によると、
「もちろん、グリーンアスパラだってとれましたよ。でも、ホワイトアスパラは加工がしやすいので缶詰にして輸出できたんです」
とのこと。
ほほう、なるほど。
ホワイトアスパラは土を盛り上げて日光を遮断して栽培させたもので、白いまま、土を掘って収穫します。
現在は、土をかぶせないで日光をあてずに栽培する方法もあるそうです。
これが当時輸入されていた缶詰。
『スキーアスパラガス』って書いてありますね。輸入先は主にアメリカとの事です。
今では、アスパラと言えばグリーンアスパラの方が一般的ですね。
まだ、現在のように物流がよくなかった頃、どっかの料理番組で「北海道のアスパラでございます。まずは皮をむいて・・・」と言って、料理の先生がピーラーでグリーンの皮を上からシャッ~とむいた時にはプチショック。
そ、それは違う、違うよ~、せめて下の部分だけにしてと思いました。
今では、ポキっと折れば水がしたたるほど柔らかいアスパラが、あっというまに日本全国に発送できるいい時代ですね。
「そうそう、この下田喜久三って人はね、スケトウダラから肝油も作ったんですよ。私は子供の頃それを食べさせられましたが、生臭くって参りました」
私よりご年配とお見受けする館長さんは懐かしそうに言っていました。
わたしの頃には、学校の先生が配ってくれた小さくで丸いゼリーのような肝油で、甘くって、美味しかったよ。
そうだ、小学校の時に、肝油を希望者に販売した時があって、それを買っている人がうらやましく思いました。
栄養の事なんて考えないさ、ただ、ハイカラなもんを買ってもらっていいなあってね。
写真のパネルに書いてあったこと>>
『日本のアスパラガス生みの親、下田喜久三(しもだきくぞう)博士は1895 (明治28)年、岩内町の米国雑貨商の三男として誕生します。 中略
冷害に強い作物の試作に努めるようになり、8年にわたる研究の結果、冷害対策物としてアスパラガスが北海道で栽培できるという確信をもちます。
そこで、1922(大正11)年、岩内の砂丘地40町歩のアスパラガスを植え付けます。これが日本のアスパラガス栽培の始まりです。
また喜久三は、スケトウダラの肝臓に含まれているビタミンAを肝臓を生のまま遠心分離機にかけて抽出する事に成功し、専売特許をとり世界に販売したことでも知られています。 後略 』
自慢しちゃうけど、北海道のはホント美味しいから食べてみればいいっしょ!