早いもので、気付けばもう婆ちゃんの初七日です。
お坊さまがいらっしゃる時間の随分早いうちから、ポツリポツリと親戚の方たちがやってきました。
婆ちゃん世代の親戚が集まることは今までにも色々な場面でありましたが、私はいつも裏方でした。
ソファにどっかと座った婆ちゃんと、おばさま達の会話はまるでスズメの学校のようで、
『ウチはもう大根どっさり漬けたよ』と言われれば、
婆ちゃんは『ウチなんかあれだも、粕漬けだべ、ブドウ漬けも漬けたも』
とか言ってみたり、
『嫁さんに買ってきてもらったこのシャツがあったかいのよ』と言われれば
『おらなんかあれだも、爺さんのズボン下履いてるも。こーれがあったかいも、ね、お母さん(私のこと)』とか言ってみたり。
そんな会話を私は台所でお茶をいれながら
” はいはい、そうです、ほほほ ” と、ときどき間の手を入れればよかったのです。
それがです。
婆ちゃんというバリケードがいなくなってしまい、親戚のおばさま達のやり取りは、直球で私にやってきます。
「どうもどうも ぽぷらちゃん ご苦労さんだね」
「いえいえ、どうぞ座って下さい」
お茶を注いでいるときは
シ〜〜〜ン
「お茶をどうぞ」
「いやいやどうもどうも。今、ヒザの病院行ってきたとこなのさ」
「そうですか、歩くのは大丈夫ですか?」
「ん大丈夫なんだけどね」
シ~~~ン
話が続きません。
いきなりこんな場面で婆ちゃんがいない不便さを感じてしまうことになるなんて。
以前は、朝に来れば夕方まで、なんだかんだと話をしていたおばさま達でしたが、今日は2時間もすると、
「それじゃあそろそろ失礼するわ」と一人、また一人と帰っていきました。
婆ちゃんがいれば、たとえニュースキャスターのことを『ニュースキャラクターって学があるんだべな』と言ったって、生鮮市場のことを『せいしん(精神)市場は安いもな』と言ったってその場の雰囲気は保たれていたし、さっき話した話題を三度繰り返したって、それはそれで、話が盛り上がっていました。
だから今日はなおさら、私は改めて婆ちゃんのいない空気の薄さを、おばさまたちは婆ちゃんのいない寂しさを、感じてしまったようでした。
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