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北海道の日本海側は江戸から昭和の始めにかけて、ニシンが人々の生活の糧として活気に満ちていたそうです。
北海道のJR留萌線、留萌(るもい) ー 増毛(ましけ)間は、そんな日本海側を走っている鉄道です。
道内をよく知っている旦那さんとはうらはらに、いつもポカ〜ンと車の助手席に乗っている私は、どんな駅があるのかも知りません。
「駅回るか?」
行こう行こう!
車を各駅停車してくれる事になりました。
先日出かけた留萌駅から増毛駅までの各駅をすべて一挙にご案内しますね。
プチ旅行気分でおつきあい頂ければ幸いです。
車は北海道の日本海側にある留萌(るもい)駅から、終着、増毛(ましけ)駅まで走ります。
留萌(るもい)(明治43年開業) = 瀬越(せごし)(大正15年開業)= 礼受(れうけ)(大正10年開業) = 阿分(あふん)(昭和62年開業) = 信砂 (のぶしゃ)(昭和62年開業)= 舎熊 (しゃぐま)(大正10年開業)=朱文別(しゅもんべつ)(昭和62年開業)= 箸別(はしべつ)(昭和62年開業)= 増毛(ましけ)(大正10年開業)
留萌から車を走らせていると、ちょうど走っている列車に遭遇!
カーブを曲がると、いきなり海が広がりました。
踏切の横が瀬越駅でした。
瀬越駅は、毎日、海を眺めて建っているんですね。
こーんなに景色がいいと、時間も忘れてしまいそうですね。
遠くに見える風車群がきれいです。
次の駅に到着です、礼受(れうけ)駅。
レウケとは、『曲がっている所』というアイヌ語だそうです。
ちょっと小高い坂を上がります。
すぐ傍に住宅がありました。
まるで、自家用の駅みたい。
駅舍は、コンクリートの土台の上に置かれた貨車を利用しています。
以前はここにも、ちゃんとした駅舎が建っていたんでしょう。
このお宅はもしかしたら、この貨車の駅を管理もされているのかもしれませね。
礼受駅に到着すると、そこにはなんと、さっき私たちと一緒に走っていた列車が止まっていました!!
お〜!よっしゃ。
さて、再び日本海を南下します。
次の駅は阿分(あふん)駅に向かいます。
むこうの家の外側に、木の塀が建ててありますね。
海岸付近は、とにかく風の強い所で、冬には雪が横から吹き付けます。
とくに、昔ながらの建物は、このように木の塀を建てたり囲ったりして、風や雪から家を守っているところがあります。
ここが阿分駅。アイヌ語で『入り込んでいる』という意味だそうです。
駅には海抜を記したプレートが付いています。
阿分駅のある所は海抜18mと表示されています。
駅の裏には立派な学校がありました。
ここは阿分小学校で、この春(2015/3付き)をもって閉校になっています。
誰もいない学校を見るのは、なんだか悲しくなる。
沢山の生徒さんが通っていたんでしょうね。
さて、次の駅は、信砂(のぶしゃ)駅。『野を流れる川』という意味だそう。
うっかりすると見落としてしまいそうな駅です。
ホームがないと、駅には見えないかも。
さらに次の駅に進みましょう。
ありました、舎熊駅。
この駅も列車の車両をそのまま駅にしてあります。
でも、以前は駅舎が建っていたようです。
のどかな舎熊駅前です。『魚を干す竿』という意味だそうです。
このあたりで、アイヌの人たちが魚をいっぱい干していたのかもしれませんね。
次の駅は、あ、そこだ〜!朱文別駅。
イタドリが大きくなって、小さな駅が見えにくいです。
ホームが一段高くなっているので、駅がわかりずらいです。
でも、列車の運転手さんはわかるよね。
さて、そろそろ終着駅が近づいてきました。
箸別(はしべつ)駅です。
駅の階段下にはポカンと広い空き地が。
昔はここが駅前広場だったのでしょうか。
車は増毛線の終着駅、増毛駅に向かっています。
列車の車両を、そのまま駅舎として使っていた駅がありましたね。
コンクリートの土台の上には、どんな駅舎が建っていたのかな・・・。
この海がニシン漁で賑わっていた頃の人々の暮らしを、ちょっと想像したりしてみました。
JR留萌駅の画像はこちら >>
JR留萌線の終着駅、増毛駅の画像はこちら >>
小さな駅長さんのいる新十津川駅も含めたJR札沼線の画像はこちら >>
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