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手稲駅が見える歩道橋からの風景です。
中央奥に見える白い建物が手稲駅。
その下に、駅のホームが少しだけ見えているのがご覧になれるでしょうか。
歩道橋からの左側、札幌駅方面はこんな感じ。
右側、小樽方面はこんな感じの風景です。
札幌駅〜手稲駅の区間には、今ではいくつか駅があるけれど、それまでは、『琴似』『桑園』の2つの駅があるだけでした。
その後、手稲が札幌市の仲間入りしてからはどんどん利用客も増えて、北海道の駅の中では、旭川市よりも多い、札幌駅に継ぐ乗降客の多い駅になりました。
駅が増えた事で乗降客も分散したけど、、”駅が多くてかったるい〜〜・・・”と思ってしまうのは、きっと私が昔の人間だからだね。
なので、できるだけ札幌(駅)行く時は快速に乗っちゃうさ。
手稲〜小樽 間は、海をギリギリかわして線路が敷かれています。
一見、普通の線路に見えるっしょ、ところがです。
この線路は明治13年に石炭を運ぶために札幌〜手稲経由〜小樽(手宮)に作られた、北海道初の線路で、北海道の開拓の基礎を築いた歴史的な線路なのであった。
見よ、この風格・・・普通だけど。
ちょうどこのあたりから、線路は海岸線に向かって走ります。
当時、手稲の平地の地盤は泥炭地で柔らかったので線路を敷くには難しく、かと言って、山側の岩盤は固すぎて工事は難航すると考えられました。
そこで当時の人は、植物の生態系を調べて、柔らかい地盤と固い地盤の両方の特徴を持った境界線を見つけ出し、線路を敷いていったそうです。
貨車が落とした石炭が転がっている風景が、幼い私が見ていた線路の風景です。
回りの風景がどんどん変わっても、線路を眺めていると、遠い昔が蘇ります。
今、手稲駅南口付近は大きく変わる計画があって、この景色も目まぐるしく変わっていく事でしょう。
増える駅がある一方で、小樽方面には消えてしまった駅もあります。
『張碓駅(はりうすえき)』。砕石を運ぶための崖下に作られた駅でしたが、2006年になくなりました。
航空写真の右側のトンネル手前あたりにありました。
2008撮影
わわ、随分長くなってしまいましたわ。
88.6月1日現在まであった北海道のすべての駅名が載ってる
北海道613駅のホームドラマも、よろしかったらご覧下さいませ。