北海道・札幌発・だべさ通信5

手稲の街が大きく変わる気配

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手稲駅が見える歩道橋からの風景です。

中央奥に見える白い建物が手稲駅。
その下に、駅のホームが少しだけ見えているのがご覧になれるでしょうか。

13.5.2-手稲駅03.jpg

 

 

歩道橋からの左側、札幌駅方面はこんな感じ。

13.5.2-手稲駅02.jpg

 

 

右側、小樽方面はこんな感じの風景です。

13.5.2-手稲駅01.jpg

 

 

札幌駅〜手稲駅の区間には、今ではいくつか駅があるけれど、それまでは、『琴似』『桑園』の2つの駅があるだけでした。
その後、手稲が札幌市の仲間入りしてからはどんどん利用客も増えて、北海道の駅の中では、旭川市よりも多い、札幌駅に継ぐ乗降客の多い駅になりました。

 

 

駅が増えた事で乗降客も分散したけど、、”駅が多くてかったるい〜〜・・・”と思ってしまうのは、きっと私が昔の人間だからだね。

 

 

なので、できるだけ札幌(駅)行く時は快速に乗っちゃうさ。

手稲〜小樽 間は、海をギリギリかわして線路が敷かれています。

一見、普通の線路に見えるっしょ、ところがです。
この線路は明治13年に石炭を運ぶために札幌〜手稲経由〜小樽(手宮)に作られた、北海道初の線路で、北海道の開拓の基礎を築いた歴史的な線路なのであった。

 

 

見よ、この風格・・・普通だけど。

ちょうどこのあたりから、線路は海岸線に向かって走ります。

当時、手稲の平地の地盤は泥炭地で柔らかったので線路を敷くには難しく、かと言って、山側の岩盤は固すぎて工事は難航すると考えられました。

 

 

そこで当時の人は、植物の生態系を調べて、柔らかい地盤と固い地盤の両方の特徴を持った境界線を見つけ出し、線路を敷いていったそうです。

貨車が落とした石炭が転がっている風景が、幼い私が見ていた線路の風景です。

回りの風景がどんどん変わっても、線路を眺めていると、遠い昔が蘇ります。

今、手稲駅南口付近は大きく変わる計画があって、この景色も目まぐるしく変わっていく事でしょう。

 

 

増える駅がある一方で、小樽方面には消えてしまった駅もあります。

『張碓駅(はりうすえき)』。砕石を運ぶための崖下に作られた駅でしたが、2006年になくなりました。
航空写真の右側のトンネル手前あたりにありました。

13.5.3張碓駅.jpg

2008撮影

わわ、随分長くなってしまいましたわ。

88.6月1日現在まであった北海道のすべての駅名が載ってる

北海道613駅のホームドラマも、よろしかったらご覧下さいませ。

 

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6 Comments

  1. すみれ

    雑学王 ぽぷらさん 境界線に線路を引いた話 勉強になりました
    さっそく夫に 得意げに話してみます 笑
    航空写真綺麗です
    小樽の海沿い 汽車から見える風景 清々しくて好きです
    実家の田舎の海を 思い浮かべて 黄昏たこともありました♪
    手稲南口が大きくかわる?計画 知りませんでした
    南口近くのお米屋さん水車さんの かぼちゃ蒸しパンが好きです
    ここは残るんでしょうか? ハテ
    今日午後の便で 香川県へ主人と旅してきます 高松空港におりて
    さぬきうどんを晩御飯に食べ 海沿いのホテルに2泊し丸亀城とか金毘羅さん参りなど観光してくる予定なのです こちらはあいにくの天気ですが?あちらはお天気のようで良かったです行ってきます

    Reply
  2. t22t

    手稲駅の描写、札幌~小樽線の歴史描写、とてもわかりやすくすがすがしい内容でした
    興味深く読ませていただきました
    手稲駅、今まで勝って想像で刷り込んでいた駅よりもずっとずっと大きいものでした
    海沿いの風景もすばらしいですね
    また、昔の人も単に海岸に沿ってなんとなく線路設置したわけではないことにも感服しました
    小生の小町にもJR駅三駅あります 二駅は無人駅ですが
    最近できた一駅は人口海水浴場用です 広島から車以外に列車で訪れる若者も結構います

    Reply
  3. 正宗

    おはようございます。
    ぽぷらさん、先人達は凄いですね。
    ところで、ぽぷらさん・・・北海道開拓に伊達家が係わっていたのはご存知ですか?
    元々、江戸時代には東北諸藩が北方警備の任に当たっていて、伊達家は白老~択捉までが担当。戊辰戦争後には家臣団の生計を建てる為に北海道開拓に赴いたのです。(明治2年ごろから)
    伊達家の重鎮・片倉家(宮城県白石市)は札幌市白石区・手稲区・西区宮の沢・登別などを開拓。白石区の地名由来はその所以だとか。又、伊達家分家の亘理伊達市は伊達市周辺、岩出山伊達市は当別町周辺を開拓したそうです。
    因みに、姪の夫の実家は当麻町(田助けスイカを作っているそうです)ですが祖先は岩出山伊達家だそうです。
    開拓には食料や寒さも困難を極めたそうですが、鉄道の開拓のように泥炭も大変だっとか。

    Reply
  4. ぽぷら

    すみれ さんへ
    水車のお米屋さんのあたりも変わるようですよ。
    ただ、あのお店は形を変えるなどして残ると思います。
    昔からある古いお店です(以前はスーパーでした)から。
    私も時々お餅、買いに行きます。美味しいですよね。
    今頃は旅行真っ最中ですね。
    道中、お気をつけて。

    Reply
  5. ぽぷら

    t22tさんへ
    ありがとうございます。
    文章がうまくまとまらないもんで、いつもわかりずらい所が多々あると思いますので、その用におっしゃって下さるととても嬉しいです。
    海水浴上専用の駅があるんですね。
    きっとこの夏も賑やかになる事でしょう。
    思い出がいっぱい交差する駅なんですね。

    Reply
  6. ぽぷら

    正宗さんへ
    手稲にも伊達藩の方が来ていたとは知りませんでした。
    とても勉強になりました。
    正宗さんはとても詳しいですね。
    当別という所は、手稲からはさほど遠くありません。
    底に住んでおられる方々は、伊達藩の子孫である事をとても誇りにしておられます。
    北海道では珍しく、立派な家紋を家に付けておられるお宅もあります。

    Reply

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