昭和44年のオロフレ峠と登別温泉の様子をご紹介したいと思います。
この写真は、私が手稲(札幌)の小学校6年生の時に、当時の担任の先生が8ミリフィルム映像として残して下さっていたものです。
当時の小学校のクラスメイトは23人ほど。その中から懐かしい画像を切り取ってみました。
画像は修学旅行2日目です。
バスは洞爺湖温泉からオロフレ峠を通って登別の地獄谷へと進んでいます。
■ 昭和のオロフレ峠は 1つ間違えれば真っ逆さま
当時のオロフレ峠は、今から思えばすんごい急斜面の崖っぷち。
バス同士がすれ違う時は、どちらかが道を譲るか、もしくは華麗なハンドルさばきでバスを操る他に方法ななし。
そんなこととはちーっとも知らない私たち子どもは、楽しそうにバスに揺られていたんですね。
もし私が先生だったら、” 動くな騒ぐな! ”って、子ども達に大声はりあげていたかもね。
バスとすれ違うときの映像でしょうか。
なんだか大人達が緊迫しているように見えなくもないんでない?
こちらに、当時の道を思わせる写真があります。
2016年の10月に撮影したオロフレ峠です。
今はもう使われなくなっているので、道はだんだん緑に覆われてきています。
向こうから下ってきているスロープが、かろうじて当時の道だったことを示していてくれます。
そのうち、すっぽりと覆われてしまうんでしょうね。
オロフレ峠はどう変わっているのか。このときに撮った他の写真あこちらで>>
さて、バスはオロフレ峠を無事に乗り越えたからでしょうか、車内ではみんなでアイスキャンディーを食べています。
このアイスの棒って、たしか、割り箸だったように思うわあ。
■ 登別温泉の地獄谷、以前はもっとボコボコ湧いてた
バスは、親孝行な女神が作ったと言われる登別温泉の地獄谷に到着しました。>>
当時の方が、もっとボコボコグラグラと地獄が湧いていて、煙りもいっぱい出ていたように思えます。
こちらの現在の写真がありますので、見比べてみることにしますね。
どうでしょう?
48年前の一泊二日の修学旅行は無事に終わりました。
今になってこうして見られるのも、先生が8ミリで映して下さったおかげですね。
私もちゃんと写っていました。向かって右から2番目ね。おほほほほ・・・
最後まで見て下さり、ありがとうございました。
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