私が子どもの頃の話ですので、今から50年以上も昔で恐縮です。
当時、手稲はまだ札幌郡で、私の住んでいた家は、古い木造長屋。
今のような断熱材なんて勿論入っていなくって、真冬は家のいたるところから冷たいすきま風がスースー入ってきてました。
そういえば、ネズミのかじった穴もあったっけね。
初雪の声を聞く頃になると、どの家でも窓にビニールを張るのが、冬支度の1つでした。
■ 昔、北海道の家には、冬になると窓にビニールが張られた
今のように、内側からピタっと貼る防寒用ビニールとか、プチプチビニールなんてないでしょ。
大きな幅のビニールを、大胆に外側から張っちゃうんです。
材料は、窓サイズより大きめに切ったビニールと、それを上から押さえつけるために窓枠の長さに切った細い木の棒。
これは鉛筆より細くて、断面が三角形をしているの。
それと、小さくて細い釘。
ビニールの上を棒で抑えてから、この小さい釘でバンバン打ちつけちゃうわけです。
冬が近づくと、風のない小春日和を選んで、午前中から窓という窓を父親が全部ビニールで覆っていました。
作業が終わる頃には家の中がちょっと暗くなって、外の景色がすこしモヤモヤして見える。
これから始まる長い冬を感じたものでした。
■ 北海道の住宅に縁側は不向き
北海道の住宅は、当初、本州と同じ住宅様式で作られることが多かったので、私の家にも縁側がありました。
でも、寒さの厳しい北海道では、気密性にかける縁側は不向きで、すきま風がヒューヒュー入ってきます。
この窓を全部ビニールで覆うのは一苦労だったべね。
厳しい北海道の寒さにも絶えられる高機密住宅が出来始めたのは、それからあとの事です。
現在では住宅の質も向上し、お日様の光をたっぷり取り入れられる広い縁側のあるお宅もあります。
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■ 昭和20年の手稲の写真 (主婦の奉仕活動)
昭和20年に撮られたと思われる写真がありましたので、ご紹介します。
題名は『主婦部隊の奉仕作業』ですって。
ここは、当時、札幌郡だった手稲の金山地区。
滝見町って言ってたところで、現在は、住宅街になっています。
写真に見える長屋は、途中で切れちゃっているけれど、4軒が繋がっています。
隣の家か境はというと、大きい窓(ここは縁側だった)と窓の間です。
一番左に見える小窓があるっしょ。
あそこはトイレ。
8畳の茶の間、6畳間、6畳間、台所。あと、台所の横に、石炭を入れる物置スペースがあったように思う。
画面左側に、住宅が複数並んでいるのがわかりますか?
このように、ズラーっと同じ家が並んでいました。
私の家はというと、カメラの位置の後ろ側にありました。
2軒分が繋がった家でしたよ。
さて話は戻りますが、家中の窓の部分。
6畳間の部屋はもちろん、台所、縁側、トイレにもビニールをかぶせました。
それでもめっちゃシバれたけどね。
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窓にビニール、うちでも冬になると父親がはっていました。確かに細い木の棒で押さえていました!でも今考えると、冬の間は窓が開かないということは…掃除機をかける時も空気の入れ替えをしていなかったのかしら?
まいけるさんへ
まいけるさん、窓のビニールの事知っていて嬉しい!
昔の事だから、知らない人も多いですもんね。
まいけるさんのお宅でも、お父様がなさっていたんですね。
掃除機のお話、考えてみると本当にそう。当時は当たり前だっかたら、よく考えてもみませんでした。
あと、万が一、災害が起きても外に出られませんよね。