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遠くから見える手稲山の残雪が、あとこんだけになりました。
もうすぐ、深い緑に飲み込まれてしまうでしょう。
プチ、手稲山紹介・・・
手稲山は1972年に開催された札幌冬期オリンピックの競技場になった。
前年に行われたプレオリンピック大回転競技を見に行ったとき、粉雪と共に現れた外国選手にハ〜イ!と笑顔を飛ばされ、免疫力のない15歳の自分は心臓が止まりそうになった。
『青年よ大志をいだけ!』のクラーク博士も、冬に生徒達と一緒に手稲山を登っていた。
下山の時になって天候が悪化した事もあり、クラーク先生は、親達から ”なんちゅう無謀な事をするんだ!” と、非難されちゃった。
山頂には、各テレビ局やラジオ局、その他のアンテナがいっぱい立っている。
以前ここでビデオを撮ったとき、画面いっぱいに横波とテレビ局の文字が現れた。
山の中腹に温水プールがあった。
昔、”スキー遠足” というのがあった。
背中にタオルを入れて汗をかきかき滑ったあと、帰りはスキー場から道路を滑って帰ってきた。
車はめったに通らなかったので、これが一番長いゲレンデになった。
現在、冬には外国の観光客や本州からのスキー体験授業の子ども達が、
夏には、涼しい所でプレイができるゴルフ場が人気のようだ。
もちろん、道路をスキーで滑ってくる者は、もういない。
スキー場からず~っと道路を滑り降りて、山小屋風だった手稲駅前まで滑り降りました♪
今から思うと、五号線も突っ切って滑ってたんですね(^_^;)
さすが怖いモノ知らずの年齢でした。
まさか将来、結婚してその手稲山の懐に家を構えるとは想像もしていませんでしたが(笑)
手稲山の雪が消えるってことは、そろそろ農作物の苗を植えても大丈夫の合図かな?
畑の時期の始まりですね。
おばあちゃん、体調はいかがですか?
スキー遠足、なつかしい~。背中に入れたタオルを取ると気持ちいいんですよね。
小、中学校の冬の体育はスキーでしたが、高校ではスケートでした。私はスキーが得意ではなかったので、スケートになって嬉しかったです。
手稲に住んで20年ですが 手稲山のこと ほとんど知らなくて
ポプラさんから いつも色々と教わっています
この間 誕生月が同じなので(4月) 夫と免許の更新へ手稲免許更新センターへ行ったのです
時間待ちがあり 食堂でカレーを食べたところ ここがすごく絶景で
手稲山を含む両者連なる山々を見渡せたのです 改めて再発見でした
子供のころ、私もスキー遠足のあと
道路を滑って帰ってきたけど、
住んでいた家だけでなく
家の前に広がっていた畑もスキーに乗って帰ってきた道路も
きれいさっぱりなくなちゃったらしいです。
さすが過疎地…(T▽T)
きなこさんへ
きなこさんも私と同じ!
私も結婚して、まさか手稲に戻ってくると思いませんでした。
手稲駅前まで滑って降りたなんすごいです。
手稲駅は向かい山小屋ふうでしたもね、懐かしいです。
私は手稲西小学校だったので、下山は途中から手稲鉱山方向の道に降りました。
旦那さんは中央小学校だったので、きなこさんと同じ、国道5号線を渡っていたと思います、(笑・・)
婆ちゃんへご心配頂きありがとうございます。
入院はしばらく続くかと思われますが、おかげさまで容態は安定しております。
まいけるさんへ
まいけるさんも、背中にタオル入れてた時代なんですね!
タオルを抜くときは気持ちよかったですよね。
私はそそっかしいので、お手洗いから出たあとなど、背中のタオルが腰からヒラリと出ていた事がありました。
私もスキーは得意じゃなかったので、ポールに激突しましたっけ。
すみれさんへ
そうそう、手稲山の稜線がとてもきれいに見えますよね。
今の時期って太陽がずっと西側に沈むので、なおきれいに見えますもね。
ご夫婦が二人とも4月生まれなんで偶然!
4月はすみれさんご夫婦にとっては特別な月ですね。
もみじさんへ
そういえば昔の手稲も、冬になると、どこでもスキー場みたいなものでした。
坂があれば誰かがスキー滑っていたし、スキーを履いていれば、道路じゃなくても歩いていたし。
広い雪原がなくなってしまいましたね。