北海道・札幌発・だべさ通信5

日本人は縄文人のDNAを10%アイヌ民族は70%持っていた

縄文時代 矢じり
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縄文人と聞くとワクワクする。
それというのも、亡き婆ちゃん(夫の母)が畑で見つけたという矢じりを見せてもらってから、一気に身近になったからです。
上の写真の矢じりがそれ。

この場所に、もしかしたら今自分が立っているココにも、その人たちが行ったり来たりきていたのかもしれないという漠然ではあるものの、人影を見たような気がします。


今はいなくなってしまった縄文人たちは一体どこへ行ってしまったのでしょう。
一説によると、北海道にいた縄文の人たちはアイヌの人たちに受け継がれていったのではないかとも言われていました。


それを裏付けるよに、数日前の北海道新聞に、私たち日本人と縄文人とのDNAの関係についての記事が掲載されてい他ので紹介させていただきますね。

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縄文人と日本人とアイヌの人たち

礼文島は北海道の北にある島。初夏から夏の間に、一斉に花が咲くので、花の浮島とも言われるくらい美しい島です。

礼文島の花の紹介の記事 >>

北海道新聞の記事によると礼文島の船泊遺跡から出土した縄文時代の女性の骨から遺伝子情報(ゲノム)を解析。
礼文島は寒冷地なので、人骨の保存状態が良かったんですと。いかったね。


その結果わかったことは『縄文人は1万8000年〜3万8000年前に大陸の漢族と共通する祖先から分岐したと推定される。


現代の日本人は、縄文人のDNAを10%の割合で受け継いでいる。
さらに北海道に住むアイヌ民族で70%、沖縄に住む人で30%であることもわかりました。

身体的な特徴について、調査を行ったこの女性は肌の色が濃くて瞳は茶色。お酒に強く耳垢は湿る体質だったそうです。
高脂肪に対する適応できているので、アシカなどの海獣を食べる生活をしていたかもしれないとされています。


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例えば、日本列島の形を縄文人という色の水彩絵の具で塗ったとしましょう。
そこに、大陸からやってきた新しい日本人という色の絵の具をポタリと落とす。
するとみるみるうちに色は混じり合い広がって、北の縄文人という色、混ざり合った中央の色。そして南の縄文人の色になる。
もしかしたら、こうして縄文の人たちのDNAは混ざり合っていったなと思いました。


アイヌの人たちは北海道と思われがちですが、実際には日本の各地に住んでいたそうで、今でも多くのアイヌ語の地名が残っているそうです。

例えば、『江戸』はアイヌ語で『エド』みぞ萩草の生い茂るところの意味。
『出雲』はアイヌ語で『イズモ』岬が曲がっている所の意味。
『大阪』はアイヌ語で『オッサカイ』河口に砂溜りのある所という意味
だそうです。
もしかしたら、アイヌ語って縄文人の言葉に似ているのかな?
縄文の人たちから受け継がれたものを今でも持ち続けていると考えれば納得です。


自分の中に縄文人のDNAが受け継がれていることは確かだろうけれど、それ外の多くの割合も当然どこからか受け継がれているわけで、そのことを考えると、限りなく長い時間の間に繰り返された人との出会いと別れに空想は広がります。


そんなことを色々考えていたら、この縄文人の女性がじわじわと自分に似てきたように思えてきましたよ。

フゴッペ洞窟に残る古代の人達 >>

礼文島で7月ころに見られる花

縄文人 の作った?ストーンサークル
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