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兄が事故で逝ってから、もう16年が過ぎました。
1年過ぎても5年過ぎても、自分の中では兄の死を認める事ができませんでした。
他人が「おしい人を亡くしたね」などと言うと、心の中で沸き上がる拒絶反応を抑える事ができませんでした。
やっと素直に受け入れる事ができるようになったのは、10年も過ぎたころからでしょうか。
マスコミが、震災から1年が過ぎた被災者の方々を取材する光景をよく見ますが、その方達は、亡くなられた家族の分も頑張ろうと前向きに歩み始める光景でしめくくられ、まるでひとすじの希望の光が差し込んでいるかのように演出しています。
画面を通してしか見る事のできない私達は、それを本当の事のように受けとめてしまいます。
けれど、一瞬にして津波に飲み込まれた家族の死を、たった1年で心の中に受け入れるなど、できるわけがないのです。
時間は止まり、季節が巡るのでさえ、他所の世界のように感じてしまうものなのです。
また再び時計の針が動き始めるのには、オブラートをめくるように、少しずつ長い時間が必要です。
確かに言えることは、いつか心の中で現実を受け入れられる日が、きっとくるという事です。
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そうですよね 東北の方々は無理やり笑って笑わなきゃって頑張りすぎているんですよね 一年は区切りなんかではない
あの3月11日以降極力テレビを見てません。
ほぼラジオ、ほぼネットからの情報…。
しかもなるべく斜に構えて受け止めています。
(良いやり方ではありませんけどw
現在はワイドショー的な情報を・各々個人的に切り捨てて行く方法しか思いつきませんのでw)
しかし!昨日はテレビ放送をウッカリ諸々拝見してしまいました。
予想通り…『頑張ってるんだよ』的コジツケ番組…。
未曾有な天災も、福島の人災も!
今生かさせてもらった我々が『美談ではなく』現実としてここからどうするのか?!これからもずっと背負うべきものでしょうね。
あの地震の日を境に今まで築き上げてきた家族や家が津波や原発で何もかも失ってしまったんですよね。この一年1日1日生きていく事だけで必死だったと思います。時間ばかり過ぎて心が追いついていけませんよ。そして私自身が今できる事をあらためて考えています。
そうですよね
わりきれない
てか私は父を亡くして
月日が経つにつれ悲しみがつのります
津波の被害は受けませんでしたが被災者でした。
半年前に転勤で地元札幌に戻ってきましたが、311あの時の「私も家族も死ぬかも・・・??」という恐怖感は、未だに癒える事はありません。津波の被害を受けた方々の思いは、計り知れないと思います。瓦礫が綺麗に片付いて初めて復旧し復興に繋がります。皆、無理して笑っています。マスコミの報道には憤りを感じます。
応援☆
野のはなさんへ
”一年は区切りなんかではない”おっしゃるとおりだと思います。
区切りは、それぞれの方の心の中で決める事ですもね。
piazzolla@ さんへ
こんんちは。コメント有り難うございます。
”現実としてここからどうするのか?”それは、被災にあわれた方々が、きっと毎日のように思っている事でしょうね。
私もpiazzolla@さんのおっしゃるように、美談のようなとらえ方はしてほしくないと思います。
へろへろ さんへ
今できる事を考える事はとても大事ですね。
私なんか、いつもそれを忘れて、ダラダラと時間が過ぎていってしまいます。反省です。
湖の麓さんへ
”月日が経つにつれ悲しみがつのる。”
そうです、まったくそのとうりです。
心が穏やかになるまでには、沢山の時間が必要だと思います。
k23さんへ
こんにちは!
半年前に!そうだったんですか!これも運命だったのですね。
被災地の皆さんが、少しでも早く、心から笑える日がやってくるとよいですね。