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先日(15日)の大通り公園は、上着もいらないくらいのポカポカ陽気でした。
公園の街路樹、ライラックの芽もふくらみ始めましたよ。
毎年5月はライラックまつりが開催!
大通り公園だけで、白いライラックが約30本、紫系のライラックが約370本、合計約400本が植わさって(植えられて)いるそうです。

 

大通公園のライラック
お祭りと言えばワイワイの大賑わいを想像するけど、ライラックまつりは花を見ながら散歩できる気分。
ウロウロしたり、立ち止まったり、寄り道したりと、熟女にもやさしいお祭りです。

そうそう、もう数年前の事だけど、友人の景子と似顔絵コーナーに立ち寄ったことがありました。
そのときはブースの中に何人かの絵描きさんがいて、それぞれの絵描きさんの席が空い順番に、似顔絵を書いてもらいました。
私と景子の絵描きさんは別々の方で、私は年配の男性だったかな。
書き上がるのには10分くらいだったでしょうか。

 

「ハイできました」
差し出された似顔絵を、どれどれ、どんな美人かな・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
ほ、ほほほ、ありがとうございます・・・・
なにかしらのサービスを期待していましたが、これがまた、目とほっぺたのたれあんばいなんかがリアルになんでございます。
オヨヨ・・・・

当然、お互いの似顔絵を見せやっこです。
一斉に見せようね、
せーの  パッ!!
・・・・・・・・・
ぷは〜〜〜〜〜

 

『景子によく似てる〜、そっくりだよ』と言うと、
景子は、ちょっと不満そうに、
「そう?ま、似てはいるけど、ヘタじゃない?ぽぷらの方がすっごく上手、そっくりだわ」
『は?そっかな〜、私はもうちょっと美人だと思うけどなあ』
結局どちらも、よく似ていたんです。
大笑いしたあとは、お互いの年輪の重いにはせる、いい記念になりました。

当時 の料金は、たったの100円(台紙代)でした。
※・・現在の料金はわかりませんのでご確認を。

 

ライラックまつりには他にも色々な催し物があります。
手作りマーケットは、手芸大好きな女子心がくすぐられるし、ライラックの販売コーナーは、園芸大好きさんの足が止ままっちゃう。
今年は他にも、水彩色鉛筆ぬり絵体験や、折り紙教室・和紙ちぎり教室・麦わら細工体験、書道教室・茶屋・野だてなどなどが予定されているようです。

 

普段なかなかできないワクワク体験が味わえるし、お財布にも優しいです。
畑の好きな方には有機肥料の販売コーナーもあるそうですヨ。
お天気の良い日は、お友達と出かけるのもいいんでないかい。

 

今年のライラック祭り大通り会場は5月17(水)〜28(日)まで。

第59回さっぽろライラックまつりの日程はこちらで >>
大通公園


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「ふみ子さんは内勤だってよ」旦那さんはそう言って新聞を手渡してくれました。
ふみ子さん??

 

新聞には『ふみ子さん 今は内勤』2013年からパソコンで事務作業・・・』の見出しが載っています。
なになに・・・・中山ミシンの看板娘・・・・
おお!!あの『ふみ子』さんかい。

 

若い方はご存知ないかもしれませんが、そこそこ歳をとっている札幌市民なら、ふみ子さんという名前は知らなくても、『お店の前でいつもミシンを踏んでいた人形』と言えば、あ〜〜〜っと思い出す方が多いのではないでしょうか。
実は私も、彼女の名前は知りませんでしたが、いつもいつもミシンを踏み続けていた人形のことは今でもよく覚えています。
お店の前を通るたびに、ずっと足を動かしていた ふみ子さん、懐かしい。

中山ミシン ふみ子さん

 

 

この『千鳥ふみ子さん』は、札幌の中心部(南3西3)にあるミシンの店『中山ミシン』の店舗の前に設置されていたマネキン人形です。
当時、ミシンと言えば足踏みミシン。
マネキンのふみ子さんは、雨の日も、風の日も、時にはカツラを盗まれちゃうという困難にあったそうだけど、な〜んもさ。
いつも笑顔でミシンに座って足首だけをギコギコと、それもけっこうなスピードで休みなく動かしていたんです。
時々着替えもして、おしゃれも楽しんでいたもんね。

 

ふみ子さんが消えてしまってずいぶんたちましたし、今では昭和の記憶だけにとどまっているものと思っていました。
したっけさ、今も現役とは!しかもパソコンで事務仕事っちゅうからすごいんでないかい。

 

新聞記事によると・・・
『ふみ子さんが登場したのはなんと1956年』
なに!私よりも1歳お姉さんだったのかい。
『マネキンの人形の上半身は1956年当時のままで、ミシンを踏む可動式の下半身は2代目』
やはり、60歳にもなると足から衰えて来ちゃうのね、わかるわあ〜。
しれにしても下半身が交換できるなんて羨ましい。

 

ふみ子さんはこれからも、内勤の仕事をずっと続けていくそうです。
私も、なんだか頑張らなくっちゃって思ってきちゃった。
部品の取り替えは効かないけどさ。

中山ミシン ふみ子さん

 


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さっぽろテレビ塔(高さ147.2m)が完成したのは、1957年の8月。
昭和57年と言えば私と同じ歳なもんで、なんだか他人とは思えないんでございます。

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 ■ 骨組みしかなかった頃の『さっぽろテレビ塔』があった

写真は今朝の北海道新聞に載っていたもので、札幌のテレビ塔の骨組みだけが完成していた、翌年1957年の第8回雪まつりの様子だそうです。
向こうに見えるのがテレビ塔。
でも、展望室も電光時計もないから、なーんか存在感が薄い。
展望室が付いているのといないのでは、月とすっぽん、お天道さんと番頭さん、くらいも雰囲気が違うんでないかい。

さっぽろテレビ塔

 

電波塔としてだけの役目を考えればこの姿でも十分なんだけど、展望室や時計が付いた姿に見慣れているせいか、やっぱり現在の姿の方がカッコいいわ。
展望室が完成したのは、この年の8月だそう。
鉄骨だけのテレビ塔は、ほんの数カ月間という事になりますね。

こちらが現在のさっぽろテレビ塔。
さっぽろテレビ塔                            (2015/5撮影)

 

■ 時計は松下幸之助さんのサービスで付いていた!

電光時計が取り付けられたのは、それから4年後の1961年。
この時計なんだけどね、以前聞いたシティガイドさんの話によると、札幌のテレビ塔ができた当初は時計を接地する予定はなかったそうです。
そこに、あの松下電器産業(ナショナル、現在のパナソニック)の松下幸之助さんが、「時計を付ければ必ず見てくれる」と言って、寄贈して下さったそうです。

 

当時のお爺ちゃん、婆ちゃんたちが、電気製品はナショナルなら間違いなし!と、絶大なる信用を誇っていたナショナル。
そう言えば、ナショナルの歌もあったんですよ。
♩ あっかるーいナッショナールあっかるーいナッショナール
みーんなうちじゅう なーんでも っナッショーナール〜♩ ・・・

 

当時、設置された時計の数字の下には以前は『National』と書かれていました。
現在は『Panasonic』になっています。
あと、時計の中に、小さく『寄贈』という文字も付いているそうです。
場所は写真の『4』の文字の左下あたり・・・・・見えるか???
このときは夜だっもなあ〜。

 

札幌テレビ塔                                                                                           (2013/11年撮影)

 

大通りまで出かけたときは、必ず時間を確かめるのに見上げちゃう札幌テレビ塔。
さて、テレビ塔と私、どっちが長生きするのかな???

 

テレビ塔の展望室内の写真はこちら

テレビ塔の中には昭和天皇の為に作ったアイスクリームが食べられる雪印パーラーもりますよ

そういえば、テレビ塔のレストランニュー三幸で、景色を見ながら思いで話をした事もあったっけ。テレビ塔のレストランニュー三幸から見た景色はこちら。

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昔、海賊と言われた男が、手稲(札幌)に潜んでいたというお話です。
手稲区役所1階にある、手稲資料室で見た手稲の歴史の一部をご紹介します。

 

■ 事件の発端になった尼港(にこう)事件

その男の名前は『江連力一郎(えづれりきいちろう)』。
彼は陸軍軍曹で、柔道、剣道、空手など、武術を極めた人物であった。

ときは、大正9年、日本軍がロシアシベリアに出兵中、ロシア沿海州のニコラエフスクという街がパルチザン(ゲリラ軍)の襲撃を受けた。

これによって、女性を含む700人にも及ぶ市民や日本軍守備隊が殺害された。
いわゆる尼港事件(にこう事件)である。
この事件は、日本の社会にとって大きな衝撃になった。

 

■ 海賊と言われた由縁は大輝丸事件

この事件によって、江連力一郎の復讐が始まる。
江連は、軍部や実業家などから資金を得て、大輝丸(740トン)という船を用意する。
ウィキペディアによると、当初『オホーツク海への砂金の採取』 という名目で、失業者や学生などど60人の乗組員を集めたとされている。

大輝丸は小樽を出航したのち、途中、進路を変え、その後ロシア船を襲い乗組員を殺害(資料によると、甲板に並べて首を切ったと書かれてました)、船荷を強奪、(船に積んでいるものをかっさらった)。
まさに、海賊となったのだった。

■ 軽川(現在の札幌市手稲)に潜伏

小樽に帰港した江連だったが、乗組員の告発によって、警察は江連を『海賊』として全国に指名手配する。
そして、大正11年(1922)、手稲の光風舘(こうふうかん)に、愛人とその兄の3人でいる所を発見され、警察官の急襲を受け、軽川(現在のJR手稲駅)で逮捕された。

 

※光風舘は明治25年(1892)に開業した温泉旅館でした。
手稲の国道5号線から山の方(南)に少し登った所。
昔は、国道から光風舘までの道路は石畳、両側が桜並木になっていて、5月の桜の時期は、そりゃそりゃきれいだった・・・と、旦那さんが言っていました(歴史の生証人か?!)。
当時は、札幌の奥座敷と言われる定山渓温泉までの道のりがまだまだ大変な頃、手稲の温泉旅館だった光風舘はとても賑わっていたそうです。

 

昭和の初期には徳川喜久子(とくがわきくこ)姫(昭和5年に18歳で高松宮妃)が学生のころ、夏休みをここで過ごされたそうです。
それだけ、立派な旅館だったのでしょうね。
現在、光風舘は存在していません。

資料室に展示されていた光風舘の写真です。
ここに潜伏していたのか!
光風舘

 光風舘

光風舘
手稲区役所の歴史資料室、時間のあるときにそっと覗いてみると、へ〜とか、ほ〜とか思えるものがあって、けっこうおもしいよ。

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もうすぐ始まる『さっぽろ雪まつり2017』。
大通り会場も、2月6日からの開催に備えて、今まさに、雪像作りの真っ最中でした。

 

大雪像制作
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■  足場を組んで重機で雪を集めて固める

大雪像の作り方は、まず足場を組んでから大きな雪の固まりを重機を使って作ります。
それからコンパネの板で基本的なかたちを作って、そこに雪をどんどん積んでいく。
これは雪像の裏側です。
四角く跡が残っていますね。これはコンパネの跡です。

大雪像

 

 

雪像の制作現場はまるでビルの建築現場みたいです。

大雪像

 

 

大雪像

 

ん!この丸いでっぱりは、もしや顔でないかい?

大雪像

 

 

■ かたちを作ってから化粧雪を貼る

コンパネが外されたら、摂動を削る作業にとりかかります。
雪像のかたちが出来上がると、その上からさらに、白い奇麗な雪を貼る作業をするそうです。
雪化粧雪って言うそうです。
確かに、重機で固められただけの雪では、デコボコがあったり、色にムラがあったりするもんね。

雪像の下では、水槽みたいな入れ物の中で、雪と水をザクザクと混ぜ合わせている作業が行われていました。
シャーベットみたいな雪を作っています。
これをバケツに入れて上まで運び、雪像の表面を丁寧に貼っていくんですね。
こうした細かな手作業が行われ、白く美しい雪像ができ上がります。

 

大雪像

 

 

雪像作り

 

作業がすべて終わると、最後に足場が外されて完成です。

今日の札幌は風もなく、日中は0度前後。
日の当たる場所や道路では雪が溶けて、比較的穏やかなほうでした。
でも、吹雪の日もあれば氷点下5度なんて日もあるし、もっともっとしばれる(冷える)時もあるから、雪像を作る方達は、ほんとうにご苦労だと思います。

 


大通会場となる大通公園には、100基以上の雪氷像が作られる予定です。
その中の注目が、5基の 大雪像と2基の大氷像。
夜も10時までライトアップされて奇麗ですよ。
でもね、道産子でも真冬の夜は身にしみる寒さです。
会場に来られる方は、十分な防寒対策をして下さいね。

 

さっぽろ雪まつりの大通・すすきの会場は、2月6日(月)から12日(日)まで。
つどーむ会場は2月1日(水)から12日(日)までです。
雪まつりの日程など、その他の詳細は、さっぽろ雪まつり公式サイトで。

 

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