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掩体壕(えんたい壕)は、戦時中、飛行機を隠す為に作られた格納庫です。
北海道にも今だに、いくつかが残されているそうで、先月 道東に行った時には、そのうちの二つを見る事ができました。
最初に見たのは根室でした。次に計根別という所にで見た『えんたい壕』は、道道13号線を走っていると広い牧草地の中にこつ然と現れます。
コンクリートでできた巨大な建造物は壊すにも大変なので、今でも、こうして残っているそうです。
私はその存在を最近まで知らなかったんです。
その前を過ぎてしまっても、”なんだべな〜”くらいにしか思わなかったでしょうね。
この地図の左側に本別というとこがあります。
1945年(昭和20年)7月15日に『本別空襲』と言われる大きな空襲があったそうです。
本当は、帯広を狙う予定だったんだけど、この時期に多い濃霧の為、たまたま、空から見えた本別が空襲の被害を受けたそうです。
そう言えば私たちが先月道東に出発した日も、同じ7月15日でした。
その時も、ずいぶんガスかかって(濃霧)いたもんね。
『えんたい壕』は、戦後生まれの私たちにとって、確かに戦争があったという証ですね。
もっと多くの人たちに、知ってもらえたらいいのに・・と思いました。
最初の『えんたい壕』はこちら。
掩体壕初めて知りました
「掩体』そのものが初めて知る言葉でした
辞書ひきました 戦争用語のようですが、飛行機の掩体の例えは載せてありませんでした(遮蔽として、兵とか機関銃座とか ありました)
通りすがりに、実物見ても 何だろう?????ですね
でも、何故か平原に溶け込んでいて、違和感感じさせませんね
帯広を空襲する予定なるも天候の関係で本別空襲
小倉へ投下の予定が長崎へ
米軍はどこでもよかったのか
順番付きの選択肢を持って飛び立ったのかな
片思い さんへ
私も、今までそのようなものが北海道にいくつも存在していたなんて事を知りませんでした。
”違和感を感じさせない”・・・私も、えんたい壕でなきゃそう思いました。
牛たちの休憩場所?みたいな感じでしたから。
”小倉へ投下の予定が長崎へ”この事も初めて知りました。
有り難うございます。
小倉の上空に雲が垂れ込めていたので長崎に・・・ってのは残念ながら知っていました 私は今は長崎にUターンしていますが夫の転勤で北九州市にもながく住んだので 格別の思いがあります
えんたい壕・・・九州にも多く残っているようです
この盆休みにたまたま 百田尚樹氏の「永遠の0ゼロ」を読んでいたんですがその中にそのことも描かれてあります
だから 盆明けに ここぽぷらさんのところにえんたい壕の文字をみつけたのでおおお~~~っと感慨深いものがありました
66年前若い命がたくさん散っていったんですよね~~~
野のはな さんへ
野のはな さんは、日本の歴史上、とても大切な町で暮らしているんですね。
それはとても貴重な経験ですね。
私ね、たとえは悪いかもしれないけれど、毎年の高校野球の中で、終戦記念日に黙祷をするでしょ。
その時の高校球児達を見て、
『ああ、この子達と同じ若者達だったんだ・・・』といつも思うんです。平和とは、本当にありがたいものですね。