今年もお盆がやってきました。
墓石には、○○家先祖代々と刻まれていることが多いけれど、最近は『心』とか『愛』とか、家制度にこだわらない言葉が刻まれているお墓が多くなりましたね。
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■ ○○家、先祖代々と刻まれだしたのは明治に入ってから
今日の北海道新聞に、興味深いお墓のことが書かれていたのでご紹介しますね。
現在のような石のお墓が作られるようになったのは、江戸時代の中頃からだそうです。
当時は棺桶ごと埋める土葬が普通でしたから、1つのお墓には個人ひとりか、夫婦ふたりだけが入っていたそうです。
明治になって死者が火葬にされようになると、骨だけになるっしょ。
だから1つのお墓に何人も入れられる。
明治時代は一般でも『家制度』を重要と考えた時代でもあったので、そのあたりから『○○家の墓・先祖代々』などと刻まれるようになったそうです。
つまり、一般庶民が 『○○家の墓』と刻むとうになったのは、けっこう最近のことだったのです。
■ 江戸時代より前は質素な共同墓地
それじゃあ、江戸時代よりもっと前の人達は、死んだらどうしちゃっていたの?と思いました。
ずっと昔の人達も土葬でしたが、一般庶民の場合は、それぞれの地域の共同墓地みたいな所があって、埋葬したあとは土を盛って、木や石を置いたりするだけだったとか。
今のような立派な石のお墓ではないので、時が経ち、世代も変わると、しだいに記憶から消え去られてしまったようです。
よく考えてみると、むかーしから続いてきた人間がすべてお墓を作っていたなら、今頃日本は墓石で埋め尽くされていたんじゃなかろうか。石がいくつあっても足りゃあしない。
現代の墓石の多くが輸入されたもの使われていることを考えれば、納得できそうな気がする。
共同でまとめて、しかも質素だったからこそ、人は土に帰り、それが今の国土になっていると言ってもいいのかもしれません。
さて現代はというと、家を継ぐ子どもが少なくなったっしょ。
例えば、ひとりしかいない娘さんが、お嫁に行けば、だいたいは名字が変わる。
息子がいても、独身で暮らす人もいっぱいいる。
子どもが家族を持ったとしても、お墓からずーっと遠くに住んでいたなら、お墓参りには行けやしない。
現代は、明治の人たちが願った世の中ではなくなったのです。
■ 合同墓の時代がやってきた
ここにきて、にわかに注目され始めたのが合同墓です。
子どもに負担はかけられない。
遠くにお墓を買ってもお参りにいけない。
墓守をする人がいない。
夫や夫の先祖と一緒の墓になんか入りたくないもん!・・・などの色んな理由から、合同墓を利用する人がどんどん増えているんだとか。
お墓は『家制度』のこだわりから抜け出し、再び遠い昔の日本人が行なっていた共同墓地とも言える『合同墓』に移り変わろうとしているのかもしれませんね。
ちなみに、合同でお墓に入れてもらうための料金ですが、
札幌の平岸霊園合同収納塚は、あまりの人気で、このたび増設。
1体につき9,100円。(地下鉄『南平岸』駅下車徒歩約10分)
http://www.city.sapporo.jp/hokenjo/f3seikatu/boen/documents/goannai.pdf
ん、駅からは近いし、ココいいね ・ ・ 考えとこ。
小樽市合同墓だと1体につき、かかる料金は5,000円です。
https://www.city.otaru.lg.jp/simin/koseki/boti/
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