北海道・札幌発・だべさ通信5

みなと横浜は、それだけで物語

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ふるさと切手「みなと横浜」の切手を頂きました。
レトロでハイカラで、とっても奇麗な切手です。

 

左の切手は、横浜港が開港して間もない頃にやってきた外国船ですね。
西洋の船と、マストの向こうに見える純和風の富士山が、なんともいい雰囲気を出してるんでないかい。
右の切手はハイカラさんですね。遠くの未来的なビル郡を見て、何を思っているのでしょうか。

14.3.14横浜切手.jpg

 

そう言えば、港近くの山下公園にある『赤い靴はいてた女の子の像』は、北海道と横浜に縁のある、キミちゃんの像ですね。

“ 赤い靴 はいてた 女の子
異人 さんに つれられて 行っちゃった・・・・・ ”

 

 

『異人さん』の事と『いい爺さん』なんて思っていた方はいらっしゃる?
はい、私でございます。
しかも異人さんは外国人の事だということを知ったにも、いい加減大人になってからという、お恥ずかしい私でございます。

 

 

歌の物語『赤い靴の女の子』のモデルは、静岡県から北海道の留寿都(ルスツ)に入植した「岩崎かよ」さんの娘、キミちゃんです。
厳しい生活ゆえに、キミちゃんは3歳の時に、アメリカ人牧師の夫婦の養女となりました。
『赤い靴』は、遠くに行ってしまった娘の事を思う母の気持ちを歌にしたものだそうです。
けれどキミちゃんは結核にかかり、アメリカへは行けず、9歳の時に日本で亡くなってしまいます。
母は、それを知る事はありませんでした。

 

 

さらに昭和になってから、
”牧師夫婦の養女になった” というのは、かよさんへの配慮から、そう思わせていたのではないか。
” 本当は最初から孤児院に入っていた ”という説が浮上したそうです。
真実はどっちでも、母が子を思う気持ちには、変わりないですよね。

キミちゃんはきっと、ここから始まる新しい船出を、星の数ほど見送っているにちがいないね。
14.3.14横浜 赤い靴像002.jpg

 

 

14.3.14横浜 赤い靴像001.jpg

(2011・12月撮影)

 

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4 Comments

  1. チョイ悪爺ぃや

    横浜、チョイ悪爺ぃやも1年半住んでいました。磯子区で部屋からは港が見えていました。京急で東京の芝の会社に通っていました。今時は、電車の窓からは雪を被った富士山が見えました。とても美しいです。ああー留寿都の「赤い靴の少女」の銅像は、洞爺湖に向かう交差点右側に、設置されていますね。

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  2. すみれ

    私も勘違いしてた2人目です 汗
    キミちゃんの像を見て・・・ここで お昼ご飯を食べたり?遠くを眺めて物思いにふけったり 待ち合わせ場所にしたりと?
    いろんな人たちの思いや?場面が想像できました
    お地蔵さんではないですが 何十年経っても・・・
    身近な場所にいつもいてくれる存在ってありがたいですよね
    うちの田舎は 銅像なんてものはないのですが 学校へ行く途中にかわいいお地蔵さんがあって 今でもそれはあり和むんですよね

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  3. ぽぷら

    チョイ悪爺ぃや さんへ
    チョイ悪爺ぃや さんは、横浜にも住んでいらしたんですね!
    どーりで、異国情緒が漂っていたもの・・・・

    Reply
  4. ぽぷら

    すみれさんへ
    お地蔵さん、私も好きです。
    お地蔵さんを見ていると、心が優しくなるのはどうしてでしょうね。
    すみれんの故郷のお地蔵さんは、きっと沢山の子供達を見守っているのでしょう。

    Reply

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