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JR札沼線(さっしょうせん)通称 学園都市線を、石狩当別駅から乗車して終点の新十津川まで向かっています。
北海道で一番長い駅名の『北海道医療大学駅』を発車しました。
もうそれからは、ずっと広い畑が広がっています。
景色は私が座っている、進行方向に向かって左側の風景です。
稲刈りが終わった田んぼだね。
あら、あそこ、一部だけ何か植わさってる(植えてある)ね。きっと、これから収穫するのに残してあるんだべね。
のどかな秋の風景がしばらく続くと、
アナウンス・・・” まもなく『石狩金沢』でございます。・・”
『石狩金沢』という事は、『金沢』に関係ありそうでないかい。
(あとで調べてみるとやはり、『この場所を開拓した方の出身地が石川県金沢市であることに由来する』と書かれたサイトを複数見つけました。)
この地に骨を埋める覚悟で、故郷の名前を付けたのかなと思いました。
原野の開拓は、どんなにか大変だったことでしょうね。
北海道の山の多くは広葉樹なので、うっすらと紅葉し始めた色は柔らかい色彩です。
稲刈りが終わった田んぼは、茶色の絵の具をス〜っと一直線に引いたようで、その兼ね合いがいい感じ。
農道にもちゃんと、踏切がありますね。
やや、あれはもしやパン屋さん?!
この畑はね、たぶん、白菜だと思う。
そこでアナウンス・・”まもなく『本中小屋(もとなかごや)』でございます。・・”
おお、次の駅だね。
どんな駅かな、『石狩金沢駅』みたいに、やっぱし貨車を利用した駅なのかな。
あれ?止まったよ。
駅舎が見当たらない。
すると、おばちゃんが座っている反対側の席の窓にに、駅舎らしい建物が!!
こっちかい!(進行方向右)
駅見たい!
急いで向かい側のシートに飛び移るか!
でもさでもさ・・・、いくらなんでも私はおとな。
うろたえるワケには参りません。
ゴ−−−−・・・・・
無情にも列車は動き出したのでございました。
それでも撮った『本中小屋』の駅(たぶん)が写真がこれでございます。
この時私は、うろたえております。
今度の駅はどっちにあるんだろう。
右かな、左かな。
お尻がモゾモゾしちゃって、今度は進行方向に向かって右のシートに、なにげな〜い顔してスッと移って座り直しました。
”まもなく『中小屋(なかごや)』でございます。・・”
中小屋駅、どっちなんだろう・・・・
平静を装い、目の玉キョロキョロ・・
やった!右に駅がある!どれどれ、どんな駅??
それは、サビで茶色くなった車両の駅舎でした。
(樺戸集治監(かばとしゅうちかん)、今で言う刑務所の囚人達が、月形-当別間の道路を作ったそうで、この場所は囚人達のために設けた小屋があった所だそうです。)
あ、この窓、つまんで上げるヤツでないかい、懐かしいね。
中小屋では、誰も乗り降りする人もなく、一旦止まるとまた、ゆっくりと動き出しました。
小さな駅の名前にも、そこにはそれぞれの大きな物語りがあるのでした。
小さな駅長さんのいる新十津川駅も含めたJR札沼線の画像 >>
あの「パン」の看板のインパクトが凄くて調べたら、以前澄川にあった「ノルトエッセン」というパン屋さんだそうです。あの看板からは想像できないシックな庭のある素敵なお店だとか。
札沼線の旅、なかなか奥が深いんでないかい?
中小屋の駅を降りると「中小屋温泉」が有ります。今は男女別のお風呂ですが、その昔は「混浴」でした。農閑期には頬被りをした婆ちゃんが入っていたとか。爺ぃやが行ったときは、別々に仕切られていました。会社の同僚に聞くと、先輩が仕切りのところを壊したため、温泉側で見えなくしたそうです。(まあーいいか)
peco さんへ
うわあ、調べてくださったんですね!
ありがとうございます。
素敵なお店のようですね。
機会があれば立ち寄ってみたいと思います。
チョイ悪爺ぃや さんへ
あらま~、そんな事があったのですね!
若気の至りでしょうか。
昔は混浴の温泉が多かったですよね、それはそれで、のどかな時代でした。