平昌オリンピックが近づいてきましたね。
そのせいか、北海道のテレビでは1972年に行なわれた札幌冬季オリンピック当時の映像や現在まで残っている施設などの話題が多くなりました。
特に多いのが日本選手が表彰台を独占した70メートル級ジャンプです。
当時は『日の丸飛行隊』なんて呼ばれたもね。
その映像を見ると、ジャンプ競技も当時と比べてみると随分変わったことがわかります。
札幌冬季オリンピックのときは、現在のようにヘルメットはかぶっておらず、毛糸の帽子をかぶってジャンプしていました。
金メダルを獲得した笠谷選手がかぶっていた帽子の先がピンと立ってて、これからまさに飛ぼうとしている緊張感とは裏腹に、かわいいボンボンがとても印象的でした。
<こちらは、1972年札幌冬季オリンピックの時の笠谷選手>
現在では転倒したときのクッションにもなる全身のスーツをきているけど、当時は、ジャンパーにズボンでした。
昨日の夜の地元のニュースでも、札幌オリンピックのジャンプの映像が流れました。
次男に『子ども達はみんな、こーやって押し入れから飛び降りたんだよ』と、ズボンのモモのあたりをつまんでパタパタ揺らしながら飛ぶポーズをして見せました。
(彼は小さな頃から母親のこんな格好を冬季オリンピックの度に見せられていた)
そこに、この遊びを私以上にやってた旦那さんも加わった。
「そうそう、その頃はよ、スキーの板はV字にしたらダメなんだわ。こうやって板をそろえるべ、シュ〜〜(しゃがむ)・・・ジャンプ!!(飛び出しここで前傾姿勢!ジャージズボンの両サイドをつまんですんごいパタパタ!!)これが流行った流行った。みんなやってたもな」
そうそう、当時のオリンピックを知っている札幌の子ども達は、この話しになるとすんごく盛り上がる。
押し入れからも飛び出した。
ジャンプ競技は、子ども達の心をしっかり鷲巣紙にした競技でした。
そのころは、スキーの板はぴったり揃えてジャンプするほど得点がよかったのです。
V字になると減点の対象になりました。
だから、バランスを崩して板の間が開いちゃうと、” あら、得点 悪いんでないかい” なんて思ったわけ。
テレビで見るジャンプ競技ではあまり感じられないけれど、実際にこの目で見ると、まーすんごいスピードと迫力に圧倒されます。
飛び出したあとのジャンパーたちは、空中で横風を受けると体がナナメになる。
おっとっと・・・・と、すかさず両手や足を使って体全体でバランスをとっているのがわかります。
ほんと、ハラハラしちゃいますよ。
現在はリフトがついているけれど、札幌オリンピックの時は上の写真でもわかるように選手達はスキーをかついで階段を登っていました。
『一段一段 、雪質やジャンプ台の状況を確かめながら登ります・・・・』なんて、当時、ジャンプの解説者さんは言っていたように思う。でも実際のところはしんどかったんでないかい。
大倉山ジャンプ台は、昔は775段の階段を30分もかけて登りました。
現在ではリフトで4分位で登って行けます。
当時の映像を見て思い出しましたよ。
そうそう、飛距離を計測していたのは、斜面にズラリと並んだ『○m』の看板を持った審判員の人達でした。
選手がシューっと飛んで、自分の立っている目の前で選手が落ちたっと思ったときにシュっと上げる。
寒い時にジッと立っているのは大変だったべね。
大倉山シャンプ競技場は、上から下までの落差が133m、角度が35度だそうです。
我が家では、大会がなくても、観光に来た方にはここに案内します。
実際に初めて見ると、『あそこから飛ぶのか〜〜!』ってみんなビックリしますよ。
毎回、私もビックリするけどね。
<こちらは、現在の札幌 大倉山ジャンプ競技場>
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