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なんだか 2,3日前から、左目がゴロゴロして いずかったんです。
やっぱし・・・めっぱができちゃったみたいだ。

 

■ めっぱ は いずい 

『いずかった=いずい』というのは、なんかこう痛いような かゆいような もどかしいような・・・そんな感覚の時に言う北海道弁です。

 

『めっぱ』というのは、『ものもらい』の事。
北海道でも若者たちは使わないかもしれないね。
ものもらいができたときって、うづくような痛がゆいようなヘンな違和感、なんか気になるう〜〜〜ってなるっしょ。
それそれ、その感覚が『いずい』です。

 

鏡を見てみると、ははーん、上のまぶたがちょびっと膨れて赤くなってる。美人が台無し。
なんだか目ヤニも・・・・あ・・・かゆい・・・

 

 

 

■ ものもらい の原因

『めっぱ』とか『ものもらい』とか言われているものは、イボのようになる『麦粒腫(ばくりゅうしゅ)』と細菌による『霰粒腫(さんりゅうしゅ)』という病気の総称だそうで、多くは後者の麦粒腫(ばくりゅうしゅ)だそうです。

 

汚れた手で目をこすった覚えがなくても、体力や抵抗力が弱くなった時に、常在菌(黄色ブドウ球菌や表皮ブドウ球菌)が、悪さし始めて ものもらいを作っちゃうそうです。
睡眠不足やストレスも、抵抗力を落としてしまうので、結局は『ものもらい』の原因です。

 

 

 

■ バカは井戸に落としていた?

旦那さんが子どもの頃、祖母から聞いた話しだそうだけど、祖母が子どもの頃は、ものもらいができると、井戸に言って「バカ落ちれ〜!」って叫んで治していたんですって。
明治、大正という時代は、気合いで治していた時代だったんですね。

 

ああ・・・めっぱ・・・いずい・・

私の めっぱ の原因は、年齢による体力低下と夜更かしのし過ぎかもね。
井戸はないけど、気合でなんとか治しちゃるわ。

 

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全国から人が集まって開拓された北海道は、方言のデパートみたいな所かもしれませんね。
場所によっては、同じ県、同じ村から団体で入植した所もあるので、その地域独特の言葉も少なからずあるようです。

 

 

昨日のテレビを見ていましたら、山形では『こわいこわい』は『疲れた疲れた』という意味になるという話をしていたので、”そうか、山形弁だったのね” と小さな発見をしたところです。
北海道人も、たいてい『こわい』と言という言葉を使います。

 

 

階段を駆け上がったり、長い距離を走ったり、体がしんどくなったときに、私たちは『あーこわい』とか『こわいこわい』なんて言います。
標準語にすれば『疲れた』となるのでしょうが、『疲れた』の範囲は広くて、こういう場合はどーもしっくりきません。
『生きるのに疲れた』は『こわい』ではなく、『仕事が多忙で疲れる』も『こわい』ではありません。

 

 

『疲れる』という大きな範囲の中の、身体的にしんどい状態のとき『こわい』を使います。
色に例えるなら、『赤』という大きな範囲の中の、『燃えるような赤』『紅の赤』『薄紅色の赤』・・・のような詳細てきな感じでしょうか。
微妙なニュアンスの違いが多くある日本語ですが、さらに掘り下げたところにある細かな感覚を、方言は持っているのでないかな・・・と思います。
山形弁が使えてよかった。でなかったら、「こわいこわい」を表現する言葉を知らなかったもんね。

ムラサキツメクサ

 


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テレビを見ていたら、岩手県のお婆ちゃんが
「いや〜もう 歩くと ”こわい” から家にいるんですよ」とインタビューに答えていました。
”こわい” って言ってる!
思わず次男に「このお婆ちゃん ”こわい” って言ってるね、北海道弁の ”こわい” は東北から来たんだね」と話しました。

 

 

次男は「へ〜そうなの。自分はあんまり言わないけど」だと。
『使わないの? それじゃああんたは ”こわい” ときはなんて言うのさ」
「疲れた〜とか、しんどかった〜・・だよ」
プチ 衝撃・・・
北海道じゃ標準語だとばっかし思っていたのに、最近の若者道産子は ”こわい” を使わないんだ。

 
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”こわい” は、ただの ”疲れた” とはちょっと違う。
例えば駅の階段を急ぎ足で駆け上ったとする。
途中まではまったく余裕・・・と思っていたら、中盤にさしかかると息が切れてきて、最後は意地で駆け上がる。
そうなるとハアハアと肩で息をしちゃって、胸も苦しい、次の足取りもおぼつかない。
そんなとき、道産子なら誰でも
『は〜 こわい』って言うのに決まっているじゃないか・・・・と思っていたのに。

 

 

次男いわく、婆ちゃんと話すときは ”ばくる(交換する)” だの、 ”こわい(疲れた)”だのと言うけれど、友達同士では使わないんだと。
そうか、使い分けはしているんだね。
そう言われりゃ私だって、初対面の方と話すときは標準語だけど、身近な間柄ではいつもの言葉に戻っちゃうもね。
婆ちゃんにいたっては、岩手の親戚との会話を聞いても、なに話してるんだかチンプンカンプンだし。

 

 

たとえ遠くの地にいても、親しい人と話すときは、普通に方言言わさるっしょ。
だから正真正銘、方言は自分を取り戻す、心の故郷にちがいないべさ。

 


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病院の待合室。
「石狩川はサケがまあすごかったんだよ」
そんな会話が聞こえてきました。

 

見ると、患者さんとおぼしきお婆さんと、20代くらいの女性看護士さんが窓の外を見ながら話をしています。
「私、石狩で生まれたの。子供の頃からずっと石狩川のそば」
『それでサケの事がよくわかるんですね』
付き添っている看護士さんは、お婆さんの話に いちいちうなずいて聞いています。

 

「昔は、やん衆がいっぱいいて、そりゃあ賑やかでさ。サケがものすごくいたから」
『ヤンシュウ??』
ニシンやサケなど、漁の季節になると沢山集められた雇い人の男たちの事を、北海道では昔『やん衆』と言っていました。
「やん衆さ。サケが穫れる時期になると、いっぱい男の人が集まってきてたわ。サケすごかったから」
『男の人たちのことを やん衆 って言うんですか』

 

「私のお友達の△△さんのちは女郎小屋でさ、そこのうちで、よく遊んだんだよ」
『ジョロウゴヤ??』
お婆さんの子供の頃ってことは、昭和の始めころまでは、石狩には女郎小屋があったってことか???
もう、私の耳はクギヅケです。

 

「女郎小屋ってね、女の人が集められているとこさ。ほれ、やん衆がいっぱいいるべさ。」
『へ〜、そこで、結婚しちゃうんですか?』

 

「ちがうちがう。女の人を買うのよ。みんな内地(本州)から売られてきたんだよ。友達んとこの女郎小屋にも、10人以上はいたね。みんな、地味な着物を着ていたよ」
私は今まで、派手な着物を着ているの女郎小屋の風景を想像していたけど、本当は違っていたのかもしれないと思いました。
『結婚しないで買っちゃうんですか。いくつくらいの女の人が集まっていたんですか?』
お婆さんの真実みのある語り。
うなずいて聞いてる看護士さん。
話は噛み合ないけど、不思議な優しい時間の流れがありました。

 

 

「50歳くらいかな。女郎小屋も、10年くらい前にはなくなっちゃたけどね」
『え、え〜!』
私も心の中で ”え、ご、五十! 50歳っちゅうのはいくらなんでも・・・・私でもギリギリセーフか? ”
おかしい。な〜んか話がおかしい。

 

看護士さんは、
『○○さん、そろそろ病室に戻りましょうか』とお婆さんに話しかけました。
「病室?」
『そうですよ』
「あら、あなた、入院してるの?」
『○○さんが入院中なんですよ』
「わたしって、入院してるの?」
『そうですよ、今日はここで泊まってくださいね』

 

 

話のどのあたりまでが真実なのかはわかりません。
でも、お婆さんが子供だった頃の石狩川には数えきれないほどのサケが群れをなしていて、その漁をするやん衆たちがどんなにか賑わっていたか、という光景を かいま見たような気がしました。

 


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札幌から近い町、恵庭市にある遺跡 ”チャシ” (昔のアイヌ民族のとりで)で、縄文時代の壕跡も発見されたそうです。
4000年も前の縄文人がいた場所に、数百年前のアイヌの人達が とりでを築いたなんて、すごい偶然?!
それとも、見晴らしのよい丘の地形が、いづれの時代の人達にとっても ” ここにするべ!”と、思えるような好立地だったという事でしょうか。

 

 

北海道の歴史は浅いと言うけれど、それはあくまで和人目線だもね。
もともと沢山の縄文人が北海道にも住んでいたんだと思う。
小学生の時、クラスの男の子は近くの土手から拾ったという土器のかけらをいっぱい学校に持ってきたし、婆ちゃんも昔、畑から矢じりを拾ってきたくらいだもの。

 

 

そういえば、『矢じりを見れば、だいたいどこの産地の黒曜石(十勝石)かがわる』というお話を、フゴッペ洞窟の職員さんから聞いた事を思い出しました。
遠い産地の石で作った矢じりが見つかるという事は、縄文人はその時すでに、北海道内じゅうを行き来していたって事ですね。
こうして考えてみると、縄文人は私が考える事よりもずっと、行動範囲が広くて近代的だったのかもしれないです。

 

 

もしこの場所で時間を巻き戻す事ができたなら、窓の向こうにきっと、縄文の人が歩いているような気がします。

 

 

フゴッペ洞窟に住んでいた古代の人達の記事。
ストーンサークル

 


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