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写真の整理も兼ねて、礼文島での写真を、思い出しながらupしたいと思います。

こちらは礼文島の最北端スコトン岬。
スコトンとは、アイヌ語で『大きな谷』。
ちゃんとした名前だとスコトン トマリ。
トマリは『入り江』という意味だそうだから『大きな谷のある入り江』ということですね。
スコトン岬

向こうに見える島はトド島、漢字で『海馬』。
建物らしきものは見えるけれど、あれは漁師さんたちの作業小屋などで、人は住んでいないそうです。スコトン岬名前の通り、このあたりにはトドが住んでいて、漁師の網にかかった魚を食べてしまうので、島では特別な許可を持った漁師さんが、鉄砲を持って船に乗り駆除を行っています。
でも友人の話によると、トドはとっても賢い動物だから、そうとわかるとすぐ海に入っちゃう。
あんなに体は大きいのに、水面からは顔だけしか出さない。
さらに、波はトドの姿をゆらゆらよ隠してしまうので、とっても難しい猟だそうです。

スコトン岬

 

 

私達が行ったときには、トド肉が串焼きで売られていました。
味も感触もクジラ肉とよく似ていて硬くて淡白。
クジラ肉、食べたことないですか?
私が子どもの頃はね、とにかく値段が安い庶民の食材でした。
お刺身で食べれば柔らかいけど、焼くとこれが硬いもんだから、歯をグイ〜〜って引きちぎってたべたの。お弁当によく入っていてさ・・・・・
あ、話がそれてしまいましたが、トド肉は牛で言うなら、ジャーキーっぽい感じですね。

トドの肉

スコトン岬の周辺は緩やかな丘になっていて、北の地だからこそ平地でも見られる高山植物の花がそこいらへんに咲いています。

これはピンクのクチバシのような花びらのヨツバシオガマ。ヨツバシオガマ

 

イブキトラノオ イブキトラノオ

 

カタネナデシコ
カタネナデシコ

 

??

 

 

ヤマブキショウマ


次回へ続く>>

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礼文島で仕事をしている旦那さんの友人がやってきました。
もう10年も島で暮らしているのだから、休みのときは島の隅々を探検しているんだろうなあと思いきや、なかなかそうもしていられないんですと。
私の『島の様子はかわったでしょうね』と問いに、
彼は「いやあ、なんも変わってないよ。新しいトンネルはできたけどね」と言いました。


礼文島は、北海道の最北にあって、多くの観光客の人が訪れる島だけど、観光ズレしていない素朴さな島。
その位置的なこともあって、平地で貴重な高山植物が沢山見られるため、『花の浮き島』って言われています。
大きなリュックを背負った若者たちが、心を癒しにくる所でもあります。
すぐとなりには利尻島があって、両島へ行く船は稚内の港から出ています。


日本の最北の島だけど、昔からアイヌの人達は住んでいたし、江戸時代にはすでに和人も住んでいたそうです。
伝説もけっこうあるもね。
『北海道の昔ばなし』という本に載っていた、礼文島に残る伝説のお話をご紹介しますね。

■ 利尻昆布は神様のお告げで食べられるようになった

むかしむかし、礼文島に、とても信心深い漁師の夫婦が住んでいたんですと。
漁師は、毎日必ず漁に出かけるまえには神社に寄って、お供え物をしてから漁に出て行きました。
” 今日も魚が獲れます様に・・・ ”
けれど、漁師の願いもむなしく、魚はしだいに獲れなくなりました。
毎日毎日、漁師は漁に出るのですが、さっぱり魚がとれません。
その日も、魚はたったの2匹でした。

 

漁師は、神様のお供えする分と自分たち夫婦の分と、3匹は欲しかったのですが、2匹ではどうしようもありません。
仕方なく、1匹を神様へ、残りの1匹を、夫婦ふたりで分け合う事にしたのです。
それから何日たっても魚は獲れず、そのうち冬がやってきました。
仲間の漁師たちもやはり魚は獲れず、村人達は少ない食料で冬を越さなければなりませんでした。
それでも漁師は、神様へのお供え物だけは絶やしませんでした。

 

ある日、漁師が神社を通りかかったとき、神のおつげがありました。
”” この先しばらくの間は、魚は獲れないであろう。そのかわり、海の岩肌にくっついている黄金草を取るのじゃ。この海藻が、お前を救うであろう〜〜・・””

漁師は神様に言われた通りに船を出し、岩肌のあたりを覗いてみると、そこにはびっしりと長い海藻がくっついていました。
漁師は、自分だけが独り占めをしてはいけないと思い、漁師仲間と一緒に取りました。
それが昆布でした。

 

ここの昆布は特別高く売れて、文字通りの黄金草となりました。
それが有名な『利尻昆布』だったんですって。
= おしまい =

 

それにしても、この漁師さん、いい人だね。
神様も、毎日お供え物をもらっちゃうし、手を差し伸べたくなったんだべね。
私だったら、魚が2匹しか獲れなかったら、当然、神様には我慢してもらうしかないべさやって思っちゃうけどなあ。

ああ、懐かしいなあ〜。また行きたいなあ〜。
あれからもう何年たつかしら・・・

なんだか急にムズムズして、以前礼文島に行ったときの写真を引っ張り出してきました。
これは、礼文島の澄海岬(すかいみさき)です。
透明度はハンパじゃない。

澄海岬                             <2007 / 7>

こちらは猫岩。猫が背中を丸めている後ろ姿に見えるっしょ。
猫岩
こちらが礼文島の民宿から見えた利尻島の利尻富士でございます。
利尻富士
旅人を見送る民宿の人達。
♩とおい〜 せかいに〜 旅に〜 でようか〜
ここは〜 礼文だ〜 わたしの島だ〜 ♩
って歌を歌いながら、
『いってらっしゃ〜い』と言って見送ってました。
礼文島                                                                                                       <2008 / 6>

 

こちらは見送られる若者達。
『いってきま〜す』と言って、別れを惜しんでいました。
若いっていいなあ〜〜。

礼文島

 

最北の島、礼文島、またいつか、訪ねてみたいと思います。

 

 

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先日、北海道留萌本線の駅、『恵比島駅(えびしまえき)』に立ち寄りました。
留萌本線は、深川駅から留萌を通って増毛駅までを結んでいます。

『恵比島駅』は、1999年4月から放送されたNHKの朝ドラ『すずらん』の舞台『明日萌駅(あしもいえき)』になったところで、当時撮影されたセットがそのまま残っているところ。
前回訪れたのは2005年、あれから10年もたったんだ。

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あ、残ってました!10年前と同じ、そのまんまです。
え?どれがセットかって?
左側にあるのが朝ドラ『すずらん』のセット。右にある小さな建物が本物の駅舎なんです。

 

恵比島駅の駅舎はもともと車両をそのま使っていた駅だったのですが、ずぐ隣に撮影用セットの駅『明日萌駅』があるので、景観を損ねないようにと、カムフラージュしたそうです。
そう思ってよく見ると、確かに右にある小さな建物は貨車ですね。
板が貼ってあってミノ虫みたいです。

私は朝ドラすずらんのことは知らなかったもので、初めてここに来たときは、格子のガラス窓や石炭ストーブ、切符を買う窓口など、あまりの懐かしさに感激しちゃいました。
よくまあここまで当時の雰囲気をだしたもんだわ。

あ、汽車(列車)が来た!!

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さっそく、明日萌駅に入ってみましょう。

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『= 明日萌駅 =
「すずらん」の主要舞台となった明日萌駅。明日萌という地名は架空の地名ですが、アイヌ語の「アシ・モイ」(新しい淀み、新しい淵)に由来しており、少しでも明日へ希望が持てるようにという願いが込められています。
この明日萌駅に捨てられていた主人公 ”萌” は駅長に拾われ、多くの人たちに限りない愛情を注がれ、成長していきます。』

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運賃表に書かれている駅名は、本当の駅。
でも、文字は昔の書き方をしていますよ。
現在の『岩見沢』は『岩見澤』ってなってる。
上野までが書かれているのが面白いですね。
これは青函連絡船の運賃も含まれているって事でしょうね。
1382円ですって。

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駅舎の中は10年前に来た時と殆ど変わっていませんでした。

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この駅長さんや、主人公の萌の人形もそのまんま。

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主人公 ” 萌 ” も、ずーっと汽車を待っていました。
10年前に来たときは、線路のむこう側にピンクやムラサキ色したルピナスの花がいっぱい咲いていたのを思い出しました。

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本当に、汽車はやってこなくなってしまうけれど、 ” 萌 ”はこれからも、ずっと待ち続けるのでしょうか。

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駅前にある旅館の建物も残っていました。
今は、カフェになっているようです。

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さて昨日は、厚田から車は北上。北に進むほど海が青く光り始めました。
2年前に行った苫前の熊事件のあった場所にハンドルをきりました。

 

うっそうとした山道の行き止まりにあるその現場は、まぶしい日差しもさえぎる林の中です。景子と娘さんは、静かに車から降りると、事件の現場を模した小屋に歩いていきました。
私も恐る恐る後をついて行く。
もし熊が現れたら、一番美味しそうな景子を置いて逃げられるもんね。

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以前来た時はには怖くて見に行けなかっけど、今回はちゃんと、熊の爪痕も見てきました。木は成長しているのでしょうが、それにしても、巨大な爪跡です。

あ、それは景子の手だよ。熊さんみたいだけど。
その景子の手のひらと、木に深くえぐられた爪痕を比べてみて下さい。
熊の手のひらは、景子の顔より大きいに違いありませんね。

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私達が到着してからすぐあとに、おじさん達数人がやってきました。
「そういえばここさ、去年、本当の熊が来たんだってよ」
え~!そうなんですか!
そ、そろそろ戻ろうか・・・・・

 

 

「今、自分達が生きている時代に感謝だね」 景子の娘さんが言いました。
「北海道の開拓に来た人が、どんだけ大変だった事かって事だよね」景子が言いました。
最初はちょっと冗談を言ってた おじさん達も、付近を歩いたり、腕をくんで看板の内容を読んだりしているうちに、「本当に昔の人は偉かったよなあ」とぽつりといいました。そこにいる誰もが、同じ気持ちになっていたようです。

 

 

それじゃあ私達はこれで。
いつになく、車の中は幸せな時代に生きている自分達に感謝する話題でいっぱいになりました。
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2年前に来た時に、惨劇苫前羆事件(その1)の事を書きました。
そのブログ『だべさ通信2』は消えてしまったので、もう一度、アップしておく事にしました。2008年6月18日up

「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」留萌から内陸に30キロほど入った三渓という所にそこはありました。その付近は『ベアロード』と名付けられていて、熊のプーさんにも似た可愛い案内板が、『あと○○キロ』などと書かれて置かれています。けれど、事件現場が近づくにつれ、微笑ましい看板などとは似ても似つかぬ雰囲気が漂います。

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農家が点々と存在するアスファルトの道がいつしかとぎれ、砂利道になりました。道幅は狭くなり、うっそうとした木々が道の両側から迫ってきます。雨がしだいに激しくなってきた頃に到着した行き止まり。今にもヒグマが出てくるような、そんな雰囲気です。

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ここは、実際にあった現場に、当時の模様を再現したものです。
以下は、この場所に建てられていた説明文『開拓にまつわる史実』を、ある程度略して書いてみます。
『大正4年12月、冬眠をする事ができなかったヒグマが、10人を殺傷した事件がありました。
ヒグマは、9日に太田家に侵入し母子を襲いました。翌日、その通夜に再び現れたあと、その足で明景家宅を襲ったのです。ここには付近の女性や子供達10人が避難していたのです。激しい物音と地響き、窓のあたりを凄い勢いで打ち破り、イロリを飛び越え、巨大な熊がくずれ込んできました。
ランプは消えて逃げ惑う女性達に巨熊は襲いかかったのです。

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臨月の婦人は「腹は破らんでくれ」!!「のど食って殺して」と絶叫し続け、ついに意識を失いました。
この巨熊も、事件発生後、6日目にあえない最後を遂げたのです。
巨熊は金毛を交えた黒褐色の雄、身の丈2.7メートル、体重340キロ、年齢は7,8才と言われています。』

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この家から少し入った所に、実際に熊が木に付けた爪痕が残されているそうですが、もう、恐くってここが精一杯。

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この事件の詳細は詳しく語られていて、私は最初、興味本位だったんです。でも、ここに来てみて、本当に胸が苦しくなりました。
当時の時代に生きた先人達に、頭が下がる思いです。

アスファルト道路まで戻った時、若者達の車とすれ違いました。楽しそうにお喋りしています。さっきまでの私の顔かもしれないな。
最初は興味本位でもいいんだよ、それを知るきっかけになるんだもの。だから、この場所の意義はとても重要だと思うの。改めて今の時代に生きてる幸せな自分を確認する。そして、先人達に感謝したくなる、ここに来た誰もが、きっとそう思うに違いないと思いました。

(2008年5月6月18日)
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5月1日、羽幌に行った帰り道。
あれ?開館しているのかな。外から見ると中は真っ暗。でも戸はそっと開けられる。
「やってますか?」
「はいはいどうぞ」奥から、おばさんの声がして、パチパチっとライトがつきました。ここは苫前の郷土資料館。以前は役場か何かで使われていたような、年期の入った建物です。でも、ここに来たかった理由がありました。

 

去年の夏に、私達は、ほんの興味本位から、「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」のあった苫前の 三渓という場所を訪れました。
でも、そこで感じたものは、北海道人にとっては、まさに開拓の原点でした。

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その日からの開館で、お客さんは、私達夫婦で、たったの二組目。
「この事件のあった時、私の父親は4歳で、まさに、あの事件のあった三渓に住んでいたんですよ。ほら、『射止め橋』というのがあったでしょ、あのあたり。私が今、この仕事をするってわかっていたら、もっと父ほ話を聞いておくんだったわ」受付のおばさんが話してくれました。

 

 

さて、牛のような、いやもっと大きさのヒグマの剥製が置いてありました。
彼の名前は『北海太郎』。いかにも強そうな名前。
説明文には、『体重500キロ、鼻先から尾の付け根までが身長で2.43m。歯を調べる事によって、年齢は18歳であることがわかる。現在確認されているヒグマの最高年齢は34歳、母熊は25~27歳である』と記されていました。

 

おっかないっしょ!こんなのに出会ったら、死んだフリしたってもうダメよ。
それに、ヒグマって本気をだすと、時速50キロの早さで走るんだってさ。
腕の一振りで、人間の首なんか、吹っ飛んじゃうらしいです。

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爪だけで、こーんなに大きいの。ボールペンの半分くらいの長さがありました。
資料館には、当時の様子を再現した部屋が作られています。
こんな祖末な壁だもん。ヒグマなんかあっという間に侵入できちゃう。
それに、よくまあ、この家で、冬を越したもんだわね。

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資料館の奥には、ヒグマが襲ったという集落の模型が置かれていました。
なるほど、こういう順路で、民家を襲っていったのか・・・・ん?
リカちゃん?リカちゃんでしょや!
模型に使われている真っ白い顔の村人ABCは、私の友達だったリカちゃん達です。小屋の中でおびえているのは、黒マジックで顔を書かれたワタル君。
プハ~! 思わず目テン。おっかしいっしょ!

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でもちょっと素敵。だってほら、よく見て見てごらん。
村人達の服も小物も、みんな手作りです。一針一針縫ってあります。こんなリカちゃんが、いくつも置かれているんです。
限られた予算で手作りした光景が目に浮かぶ。
ちょっとの時間、恐ろしい熊事件のことを忘れちゃった。

 

私は今まで、北海道の観光と言えば、美味しい食べ物と奇麗な景色しか浮かびませんでした。 でも、自然は時として凶暴にもなる。北海道の開拓は、ヒグマとの戦いでもあったのです。
今にもそこから巨大熊が飛び出してきそうな現場を、是非多くの人にも知ってもらいたいと思います。
観光バスにも来てほしいと思いました。そしたら、小熊を見つけて駆け寄ったり、エサをやったりなどする事は、絶対になくなると思うのです。(2009年5月6日)

 
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