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白糠町(しらぬかちょう)は、道東の太平洋側にある町。
私は、通り過ぎたことしかないんだけれど、ちょうど札幌市内で『しらぬかまるごと体験マルシェ』っていう催しがあったので、立ち寄ってみました。

 

白糠のアクセス地図

 

 

チーズやお酒など北海道ならではの海産物などが並んでるその隅で、小さな布にアイヌの刺繍を縫っている女性がいます。

独特の模様が美しいね、思わず覗き込んでしまいました。

 

 

「一緒にやりませんか?」
え、いえいえ、私は見ているだけで・・・
「体験コーナーですからどうぞどうぞ、ここに座って下さい」
こう見えても私、細かな作業はものすご〜くヘタくそなんでございます。

 

 

小さな布にはちゃんと線が書いてあります。
「この通りにチェーンステッチをすればいいんですよ」
小さな布は、コースターになるようです。

 

 

「アイヌ刺繍は、縫い始めと縫い終わりには必ずこのように止めるんです」
先生がお手本を見せてくれました。
それは、刺繍の端は、必ず長い十字を作ること。
「これは、魔除けの意味なんですよ」
そうなんですか・・・・

アイヌ刺繍

 

縫い始めは先生がお手本を見せてくれたけど、ここからは自分でやらねば・・・・
そうは言ってもねえ、刺繍なんていったい何十年ぶりだべか。
あ、曲がった・・あ、大きさが違う・・・今度はミミズみたいになったべさ。
まいったなあ・・・

糸がなくなったもんで、針に新しい糸を通すことに・・・・・通らない!極度の老眼!!
見かねた先生が、「糸通しをどうぞ」って差し出してくださる始末・・・縫う前にそっからかい!

 

そうこうしている間にも、となりの奥様は美しくできあがり!
”わあ〜、すてきですね!”
「いえいえ・・曲がっちゃって・・・でも嬉しい〜」奥様は美しく出来上がったコースターをバッグに入れて席を立ちました。
まもなく、あとから来た奥様もできあがり。
私は結局、ここまで縫うのに1時間かかったのであった!
なんちゅう不器用さ。これじゃあ指導して下さる先生も困っちゃったべね。
で、でも、貴重な体験をさせて頂きました。
ありがとうございました。
アイヌ刺繍

札幌の南区にあるアイヌ文化交流センターに行ったとき、アイヌの人達の洋服に、白老や日高など、地域によって異なるという話を聞いた事がありました。
私が今回教えて頂いた刺繍の地域は白糠ですから、道東地方という事になります。
さっそく、以前のブログをみてみましたら、似てる!!
道東の地域に住むアイヌの人達の文様でした。

アイヌ文化交流センターに行ったこと

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『母が恋しい』と書いて、『母恋(ぼこい)』と読む。
そんな地名があるのが室蘭です。

 

■ 1日40個限定の『母恋めし』の中身は

今年5月、室蘭の道の駅『みたら』で購入した『母恋めし』です。
『母恋めし』は、テレビなどでも紹介されたこともあって大人気!
店員さんのお話によると、普通は、1日に40個しか作らないお弁当で、母恋駅と道の駅『みたら』などの数カ所にしか配られないそうです。
この日は、道の駅『みたら』に10個が入荷したそうです。

母恋めし

 

風呂敷に包まさってる(包んである)ところがいい感じ。お弁当のパックを開けると、中身がひとつひとつ、袋に入っています。

 

大きなホッキの切り身が入っているホッキ飯のおむすびが2個。
そのうちの1つは、ホッキの貝殻の中に入ってて情緒ある~。それから、香りがいいスモークチーズと、半熟がいいあんばいのくんせい卵(味つき卵)。
ナスのお漬け物。
口直しにハッカ飴が添えてあるところが、またいいんでないかい。

母恋めし

 

(おいしいたれ 田舎のプレスリーという万能タレも購入しました↓
醤油とソースを合わせたみたいな味でしたよ)母恋飯

 

母恋めし

 

 

■『母恋』に秘められたアイヌの物語

そんな『母恋めし』のお弁当に、母恋にまつわるアイヌ物語のパンフが入っていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

”母恋の語源はアイヌ語の「ポク・オイ」(ポクセイ・オ・イ)ホッキ貝の沢山ある場所の意味です。
また、室蘭民話「チケウの海の親子星」では餓えに苦しむ村人のためにチケウの海(地球岬)に食べ物を探しにきたコタンの長老夫婦が神様の宝物、金屏風を盗みにきたと勘違いした番人に殺されてしまいました。長老夫婦を探しにきた娘の話を聞き間違いとわかった神様は村人に沢山のホッキ貝を与えました。アイヌの村人たちは、娘が何日もかかって、おとうさん、おかあさんを探したあたりを「母恋」と呼ぶようになりました。

母恋めし物語

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アイヌの物語を知ってから食べると、ひと味もふた味も、ホッキの味が心にしみてくるんでないかい。

 

『道の駅みたら』はこんなところ。

 

母恋の地図

<母恋めし=1060円>

 

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秋も深まり、そろそろ、シシャモ漁の準備が始まったようです。
テレビのニュースによると、今年は台風の影響もあって、去年よりさらに少ない漁獲量になるそうです。

アイヌの伝説によると、シシャモは神様がくれた魚。
先日見た絵本によると、それは女神様だったそうで、ご紹介させて下さいね。

 

 

■ シシャモが生まれたアイヌの伝説
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔々、兄妹の神様がいました。
あるとき、雷の神の兄が何処かに行ってしばらく戻らない日が続いたもので、妹の女神は心配になって下界の様子を見てみました。
するとそこから見えた村人達は皆、辛そうな表情をしています。

心配になったもので下界に降りて村の村長に理由を訪ねたところ、村長が言うには、『村には食べ物がなく、神様にお願いしているにもかかわらず、願いが通じず村は飢餓に苦しんでいる』との事でした。
猟をして暮らすアイヌの人達にとって、食べ物はみな神様から頂くものなのです。

アイヌ伝説

 

 

女神は、兄の大切にしていた柳の木の葉をつんでカゴに詰め、ふくろうの神に川に流してもらいました。
すると、葉の1枚1枚が魚になって泳ぎ始め、人々は、その魚のことを『ススハム』(のちのシシャモ)と呼びました。

アイヌ伝説

 

 

自分の大切にしている柳の葉を取ってしまったことを知った兄は激怒。
悲しみにくれる女神の涙を、魚になったシシャモ達は、そっと口で受け止めたんですと。
でもシシャモが川に来たとこで、村人達は餓えをしのぐ事ができました。

その後、兄の神は、女神が行った事を許し、他の神たちとも強力して村人たちが食べ物に困らないようにしたという事です。

= おわり =

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■ シシャモは世界に北海道の太平洋側だけ

今は、シシャモは人間が養殖して川に放流しています。
1年半ほどは海で暮らし、それからまた川に戻ってきます。
海に戻る習性があるところは、鮭の生涯に似ていますね。

世界でも、北海道の太平洋側にしかいないという珍しいシシャモが食べられるなんてすんごいですよね。
とは言っても、私たち道産子でも、そんなにしょっちゅう食べられる魚ではないけどね。

 

 

■ 『カラフト シシャモ』と『シシャモ』は別のもの

スーパーでよく売られているシシャモは、よく見ると、『カラフト シシャモ』と書いてありませんか?

それは、シシャモじゃなくて『カペリン』という魚です。
カペリンはシシャモによく似ているし、本物のシシャモが多く獲れないなどの理由から、『カラフト シシャモ』って名前にしちゃったらしい。

私はそのことを知らなかったときは『カラフト シシャモ』と『シシャモ』は、同じ魚だと思っていました。
同じように惑わされてしまっている人も多いんじゃないかな?

よーく見ると、ちーっちゃく『カラフト』って文字が付いていますよ。
『カラフトシシャモ

『カラフトシシャモ』は1串200円くらいだけど、『シシャモ』は1000円以上と、ぐんと値段が高い。
知らないお客さんに ”なしてこんなに違うのよ” って思われてしまったら、お店のおじさんが ”ハ〜” っとため息ついて、涙がポロって落ちちゃうかも。
それを見た串に刺さったシシャモは、涙をパクっと受け止めてくれるかな。

シシャモ
<広尾町で食べたシシャモ>

シシャモとカラフトシシャモ(カペリン)の違い

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アイヌ文化交流センターは、札幌の南区、小金湯温泉のところにありました。
ここはアイヌ民族の資料が展示してある他にも、アイヌ文化の体験講座もできる施設だそうです。

アイヌ文化交流センター

 

アイヌ文化交流センター

モニタ画面に映し出されているのは、アイヌの人達が行なう儀式の様子です。

アイヌ文化交流センター

 

アイヌ文化交流センター

 

神様への祈りの儀式に使う器や、漁に使う槍の細工など、自然と共に工夫をこらして生きるアイヌの人たちの暮らしを感じることができる施設です。

アイヌ文化交流センター

 

アイヌ文化交流センター

 

鮭の皮で作った靴。
冬になったら、この中に毛皮のインソールを入れると、とても暖かいそうです。

実家の母が子どもの頃、母の叔父さんは石狩川の傍の生振(おやふる)に住んでいたそうで、叔父さんのアイヌの友人が履いていた鮭の靴を、犬がかじって持っていっちゃったっていう昔話しを、子どもだった母に笑いながら話してくれたそうです。
子どもだった母も、アイヌの人に船に乗せてもらったそうで、とっても船をあやつるのが上手だったと言っていました。

母からその話しを聞いていたので、私の頭の中には、勝手な靴のイメージが出来上がっていました。
でも実物は、私の考えていたイメージよりも、とても手が混んでいて立派でした。

鮭の皮の靴
私が特に興味を引かれたのが、アイヌの人たちが着ていた服。
あの独特の模様もさることながら、素材も色々です。

アイヌ民族の服

 

これはオヒョウという木(ハルニレに似ている)の樹皮を使った服。

アイヌ民族の服
そしてこれがオヒョウの繊維を織って布にしているところです。

オヒョウの樹皮の繊維

 

これは、鮭の皮で作った服。
チェプウルといって、樺太、今のサハリンに住んでいたアイヌの人達が着ていたそうです。

鮭の皮の洋服

 

鮭の皮の洋服

 

鮭の皮の洋服

 

 

そして、アイヌの人たちと言えば、独特の図柄が美しいアイヌ刺繍がほどこされた木綿の服です。
でも、どうしてこんな模様なんだろう。
それに、北海道で木綿が栽培された話は聞いたことがないし、ましてやアイヌの人たちは狩猟民族。
資料室の女性職員さんに訪ねてみることにしました。
あのすみませんが・・・

 

■ アイヌの人たちの服の作り方の種類

聞いていかった。女性の職員さんはとても丁寧に教えて下さったも。
「アイヌの刺繍は女性の仕事でした。色んな模様がありますが、これには何かの意味があるかとよく訪ねられるんですよ。

 

例えば家紋じゃないかとかね。魔除けとしての模様かもという説もありますが、もっとも考えられるのは、やはりデザインとしての模様です」
アイヌの女性たちも、現代の女性と同じく、おしゃれだったんですね。

 

「ただ、よく見てみると、服の作り方が違うことがわかりますよ。これは服の表布の上に大きな布をかぶせ、刺繍をしながら切り取っていく方法です」
なるほど、かぶせた布の面積が広いですね。

刺繍の入ったアイヌの洋服

 

「こちらは、あらかじめ形に切ってある布をあてて刺繍を施す方法です」
なるほどなるほど、さっきの逆パターン。そう言われるとよくわかります。

刺繍の入ったアイヌの洋服

 

「この服は刺繍のみですね。なので細かな刺繍模様も作れますね。道東のアイヌの人たちに多いタイプの服です」
左右対称の刺繍が細かくて美しいですね。

刺繍の入ったアイヌの洋服

 

「刺繍の作り方は地域によって違っていたので、服を見ると、○○の所の人ですね・・・などと知ることができたわけです」
なーるほど!
今度からアイヌの人の服を見たときは、どこの場所の人たちかも見てみることにします。
展示されている服は触ってみてもいいそうなので、刺繍や布の感触がわかりますよ。

刺繍の入ったアイヌの洋服

 

刺繍の入ったアイヌの洋服

 

狩猟民族のアイヌの人達がどうやって木綿を手に入れたのか

それにしてもアイヌの人たちは、どうやって木綿を手にいれたんですか?
「ずーっと昔から、和人や朝鮮の人たちと交易していたからなんです。外にある船、ご覧になりましたか?あのような、もっと大きな船で朝鮮半島など、いろんな所へ行っていたんですよ」
そうだったのか!
あとで調べましたら、琉球王国(沖縄)の人たちとも、古くから交易をしていたそうです。

アイヌの人々は本州にも沢山いた

アイヌ民族と言えば北海道と思いがちですが、もともとは東北にもたくさん住んでいました。
北海道新聞の記事によると、青森、岩手、秋田の3県にいたっては「シラヌカ」「オコッペ」など北海道と同じ名前の地名がいくつも残っているのはそのためだそうです。
結果的に、北海道に追いやられたということのようです。
もしかしたら、本州のもっと南の地域にもアイヌ語が残っているかもしれませんね。
『○○ナイ』とか『○○ベツ(ペツ)』の付いている所は、アイヌ語かもね。
ナイ、ベツ(ペツ)、は共に『川』を意味している言葉だそうです。

 

文字を持たなかったアイヌの人たちは、真実をなんぼねじ曲げられてきたことでしょう。
多くの場合、歴史は強い側が作るものだからね。
ここに来て、知らなかったことが一つわかると、いきなり大きな扉がまた1枚、開いたような気持ちになりました。
知らない世界が見えてくるって、わくわくしちゃうね。

アイヌの丸木舟

 

札幌市アイヌ文化交流センター
入館料 大人 200円
〒061-2274 札幌市南区小金湯27番地

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畑のフキが大きくなりました。
食べると瑞々しいシャクシャクとした歯ごたえと、何とも言えない青臭さがクセになります。
大きな葉っぱが空に広がって、コロポックルが見上げたら、こんなふうに見えるのでしょうか。

 

 

コロポックルは、”フキの下にいる人”とか”竪穴に住む人”とかいう意味だそうで、北海道に住んでいたと言われる伝説の小人です。
以前、何かで読んだアイヌ伝説のお話の中に、コロポックルの話がありました。

 

 

= 昔々アイヌの村に、大変な飢饉が起きたときの事です。
アイヌの若者の家に、知らないうちに食べ物が届けられるようになりました。

ある夜の事、若者は家の中に食べ物を差し出す小さな手を見つけました。
いったい誰なんだろう。始めのうちは我慢していた若者でしたが、どうしても知りたくなりました。
そしてとうとうある日のこと、いつものように食べ物を置いていくその小さな手をいきなり掴んで引っ張りました。すると、そこに現れたのはなんと、小さな小さな裸の若い娘でした。

 

 

若者がビックリしている間に、娘は泣いて逃げて行ってしまいました。
それからというもの、娘は二度と、若者の前に現れることはありませんでしたとさ・・・・おしまい  =

 

 

その内容は、個々のお話によって少しずつ違うようですが、大まかなあらすじは変わらないようです。
実際コロポックルは背の高さが1メートルほどの小さな種族で、樺太や千島列島の方から来た人たちではないかと言われています。
フキのほとんどは、畑にあるよな背丈だけれど、足寄町に生える巨大な『ラワンブキ』は背の高さが3mにもなるそうです( 去年行ったけど見れなかったんだよ )。
だからもしかしたらだけどね、北海道にはラワンブキがもっと沢山生えていたのかもしれませんよね。
そしたらほら、昔から言われている『フキの下にコロポックルが10人も入る』というお話しもうなずける。
何よりも、そのお話の舞台となった場所が北海道の北の果て、稚内に近い宗谷の泊内(とまりない)という所には、コロポックルが住んでいたあとらしき跡も残っているそうです。

 

 

ところで、寒い北海道なのに、な〜して娘が裸なのさね〜。男の人が伝説にサービスしちゃったんでないの?
きっと洋服着てたよね。
恥ずかしがりやのコロポックルたちは今でも、山奥のフキの森で、暮らしているのかもしれません。
コロポックルは伝説だけど、コロコロポッコリならここにおります・・ほらここに、私だけど。

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