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「昔、石狩川に渡船場(とせんば)あったんだよね~。生振(おやふる)の叔父さんとこに、よく遊びに行ったからねえ。アイヌの人は、ほんとうに、船をあやつるのがうまかったよ」
実家の母が懐かしそうに言うと、
「渡船場!ありましたね~」
と、旦那さんたらまるで見た事があるかのように言うのです。
■ 石狩川に渡船場があった
旦那さんは私に「あれ?お前知らないのか?つい最近まであったんだぞ」だって。
”つい最近?”そ、そんな、いつの時代の事さ。
石狩川渡船の歴史が閉じられたのは昭和53年3月31日の事だそうです。
私、しっかり私は生まれていましたわ、しかも成人。
「んだべ~~、それも国道だったんだぞ」
まさか、渡し船だよ、そりゃいくらなんでもね〜
と思ったら、石狩河口橋(昭和51年完成)ができるまでは、れっきとした国道231号だったというのです!
さらに調べていくうちに、昭和30年までは、冬の凍った石狩川の上を歩いて渡る「氷橋」というものもあったという事がわかりました。
信じられない
■ 凍った石狩川を渡る「氷橋」ができた
川が凍り始めると、柳の枝を置いたり雪や水をかけたりして、馬車が乗っても大丈夫・・・な「氷橋」を作ったそうです。
船が出せない真冬にかかるその橋は、自由に行き来できる冬の風物詩として、大人も子どもも、みんな喜んだんだって。
当時はきれいな水だったので、川もしっかり凍るんだと。
その場所、今ではどうなっているのかしら・・・・・
と言ったら、旦那さんが連れて来てくれました。
■ 石狩川の渡船場の跡
「たしかこのあたりだったような・・・」
自転車をこいできた爺ちゃんに聞いてみました。
「あのすみません、たしかこのあたりに渡船場があったのではないかと・・」
『あ”〜あ”〜。ほれ、そこさ。コンクリだけ残ってるべさ。あんたら内地(本州)の人?』
「いえいえ札幌でして。ありがとうございました」
「なんもなんも」
そこはもう、ず〜っと堤防が高く作られていました。
当時の建物らしい家が一軒残っているだけです。
あ、『石狩浜海水浴場』って年期の入った看板がある!私には懐かしい、いい響き。
今は『あそビーチ』って言うんだってさ。
石狩川が見えました。
ほんとにコンクリだけだけど、ここを毎日、沢山の人を乗せた船が石狩川を渡っていたんですね。
古い石造りの倉がありました。この石は、開拓時代に多く使われた、札幌軟石ではないかなと思いました。
建物の横についている三角の跡は、この倉に建物がくっついて建てられていたという事です。
三角屋根の跡ですね。
きっと、渡船場も氷橋を渡る人たちの風景も見て来たのでしょう。
古い本に載っていた『氷橋』の写真をみつけました。
氷橋の両端には、ぼっこ(棒)が立てられていますね。
ロープも張られていて、万が一落ちた場合でも、つかまる事ができるようになっていたそうです。
良い風情ですね~♪
一昨年、高知旅行で「掩体壕」に案内というか寄り道してもらって、世間にはいろいろ知らないものがあるんだな~と思いました。
いつもいろいろ見せて頂いてありがとうございます!
すごい タイムスリップしたくなるようなお話でした
話をしている中で 旦那さんが その場所に連れて行ってあげるなんて優しいですね
うちだったら 今度ねーですよ 笑
文章を読んでいくうちに
なぜだか 森高ちさ〇さんの渡良瀬橋を 口ずさんでいた私~♪
チョイ悪爺ぃやも、一度だけ車でこの国道の渡船に乗って、浜益に行った事が有りました。お金を取られるかと思ったら、無料でした。遠い昔の話です。(昭和47年頃でした)
いいことを教えていただきとても感動しました
当時を思わせる写真の数々を掲載していただけたのもうれしかったです
未知の土地ではありますが、とても身近に感ずることできました
アルバムに追加することお許しください
エディさんへ
こんにちは。
いいえ、こちらこそ。
自分の知らない事って山ほどありますね。
だからそれを知った時は、なんだかわくわくしちゃいます。
何も考えずにボ~っとしていた私は、無知なゆえに、このわくわくにこれからもいっぱい出会えるような気がします。
初めての物に出会うって、本当に楽しいものですね。
すみれ さんへ
タイムマシンができたらどうしましょうかね。
私だったら、歴史的なすごい事件や有名人よりも、自分の小さかった頃の風景を見にいきたいなあと思います。
昔の跡を見るそ、ちょびっとだけ、タイムスリップした情景が見えるようです。
チョイ悪爺ぃやさんへ
そうなんですか!
さすが生きている図書館!実体験もあるとは。
無料だったんですね。
古き良き時代ですね。
片想い さんへ
有り難うございます。光栄です。
昔の人の生活は、とくに北海道では、そうとう大変だったと思います。
そんな人びとの事を、時には思いおこして見るのもいいかなと思いました。