旦那さんが片付けをしていたらでてきた写真。
高校生の時に写したという、石狩川、江差、小樽の写真です。
今日はその中で、石狩川付近の写真をUPします。
■ 昭和49年~50年ころの石狩川付近の写真
年期の入った木造の漁船が置いてあります。
「ああ、それは船の墓場だよ」
船の墓場・・・
この写真は、石狩川の川岸に集められた、役目を終えた漁船だそうです。
漁師さんでしょうか。
川の傍で作業をしていますが、手前に見えるのは木製のソリ。
足は、スキーのように前がカーブしているので、これにロープをつけて引っ張ると、雪の上でもうまく滑ります。
引っ張られたソリの跡が2本ついていますね。
このおじさんは漁師さんかな?
それとも石狩川には渡船場があったので、艀(はしけ)の船長さん?
川の向こう岸がすんごく遠いですね。
そう簡単には渡れないので、は昭和53年まで渡船場がありました。
でもね、冬になると川が凍ってしまうので、渡し船が使えないっしょ。
そしたらびっくり、凍った川を歩いて渡っていた時代もあったんですって。
■ 石狩川は日本でも大きい川
昔の石狩川は、大雨や台風のたびに氾濫する暴れ川。
幾度となく整備され続け、現在では随分と川の長さが短くなったそうですが、それでも日本で3番目(ウィキペディアによりますと)に長い川(268km)。
(※ついでに第4位はやはり北海道の天塩川(てしおがわ)256km)
流域面積は2位だそうです。
地図に、海から少し川に入った所に、コブみたいに出っ張った川がありますが、あそこは、昔、石狩川だったところです。
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■ 昔は道としての石狩川があった
それから、これは私の祖母から聞いた話ですが、秋になるとそ上する鮭の大群で、向こう岸までが鮭でギュウギュウになったそうです。
「ボッコ(棒)を立てても倒れないくらいだったよ〜」
って言ってた事を思い出しました。
北海道の開拓に欠かせなかったのも石狩川。
道がまだ整備されていなかった頃は、石狩川が物資や人の輸送には欠かせない道でした。
地図を見ると、石狩川に沿って町ができていることがわかりますね。
物資や材木を川をつたって運ぶ事ができたからですね。
ちなみに、海から石狩川をたどっていくと、『月形』という町があります。
月形には『樺戸集治監(つきがたかばとしゅうちかん)』ていう言う刑務所がありました。
ここに連れて行かれる囚人たちも、船で送られたそうです。
札幌にも、石狩川から支流の豊平川を通って物資が運ばれてきましたが、現在でも残る二条市場は、漁師さんたちの荷下ろしをした場所から生まれた市場だそうです。
川は、人の血管のようなものですね。
次回は江差のかもめ島付近の写真をUPする予定です。
昭和の江差、かもめ島から見た風景と瓶子岩
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オホーツク方面出身なのでおなじみなのは石狩川の上流のほうです。
特急オホーツクの車内から見える河川って峠を越えるまでは石狩川水系ですもんね。
この前の台風の水害で線路の路盤が流出した場所も石狩川上流でした。
もみじさんへ
川は生活そのものですね。
普段は生活になくてはならないものですが、時には大きな災害をもたらして、今も昔も、一喜一憂。
石狩川の事を知れば知るほど、人との長い関わりを感じざるをえません。