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同年代の仕事仲間が集まりました。
この歳ともなると、自然にお盆の話題になります。
「オレはさ、カミさんの実家のお墓が遠いもんで墓参りも大変だよ」ふんふん、そりゃ大変ね〜。
「お盆は仏様が家に帰るって言うだろ、家人が墓に行ったら行き違いでお互いに留守になっちゃうんでないの?」なるほど〜〜。
すると佐藤さんが言いました。
「もしかしたら近い将来、亡くなった人のデーターが詰まった、人口知能ができるかもしれないよ」 まじ!!・・・
「墓参りに行ったとする」んん。
「自分ちの墓に着くと、自動で死んだ爺ちゃんのセンサーが働いて、”久しぶりだなあ〜〜”って声が出るわけ」
え”〜〜!!
「墓の前にフォトグラム(光で作った3次元の画像)の爺ちゃんの姿が現れる。そして、爺ちゃんのデータは人間の言葉を理解して、話をしてくれるってわけ」
え”っえ”~~!!
正直、もしそんな事ができるようになったら、涙と鼻水が止まらない状態になっちゃうと思う反面、幽霊と話をしているみたいにも思えちゃう。
嬉しいような怖いような、いったい自分の気持ちがどっちなのかわからなくなってしまいました。
でも確かに今は、パソコンに向かって ”ここから一番近い温泉!” とか言うと、パソコンが理解して声で答えてくれる時代。
必ずしもできない事じゃないもんね。
それから佐藤さんは続けて言いました。
「人口頭脳は学習するから、ご先祖のデータが時々ランダムで(不定期)で家族のパソコンや携帯にもデータを送ってくるようになるかもしれないんだ」
ええ?それってどういうこと?
「忘れた頃にメールがくるのさ。 ”元気かい・・・” 」
!!・・・・・・
や、やっぱし、こ・わ・い。
ポプラ様の仕事仲間の集い
話題がとてもITに溢れるものですね
仕事されておられるから、日々磨かれてゆくのですね
身近にそのようなグループあれば、ぜひとも加えていただきたいものです
(初心者でも入れていただけるのであれば、門をたたきます)
お盆の行き違い。たしかにそうですね~。
誰も異議を唱えないけど、そうですわ。
で、近い将来のお話ですが、それはタブーですわ。
死んだら出てきちゃあかんし、やり取りできたらあかんわ。
ただ、突然の事故で、本人が訳も分からず
亡くなった場合には教えてあげたいけれど。
爺ぃやもお墓参り、お寺のはしごで忙しいお盆でした。お墓参りに行ったとき、姪の子供に
なぜ「南無阿弥陀仏」と唱えるかと聞くと判らないとの事。ついつい歴史博に詳しい虫が出てきて、「阿弥陀様になるということだよ」と教え、御釈迦様の本名はと聞くと、知らないとの事。そこで拳を作り、軽く肩を打って「ゴー
タマ・ブッタ」と教えたところ、あまり信用していなかったみたい。釈迦族のの王子は理解したみたい。その後、北寄貝を焼きながら、生ビールで先祖の供養をしました。
t22t さんへ
何もかも、デジタルになってしまう世の中ですね。
でも、そうじゃないものの方がよい事もありますね。
心の中に思い出の方が、個人を偲ぶ事ができるのではないかと思いました。
ITは、私にはわからない事ばかりです。
ざくぁざ さんへ
私も同感。
悲しいけれど、思い出として心の中にあるからこそ、故人を偲ぶ事ができるのではないかと思うのです。
もし本当に故人に会えるのだったら、私はタイムマシーンで昔に行って、木の陰からでも、会いたい人をそっと見てみたい・・・と思います。
チョイ悪爺ぃやさんへ
お盆のお墓参り、そして、仏様のご教授、お疲れ様でした。
焼いたホッキ貝とビールは、格別の味だったでしょうね。
ゆっくり休んで、夏の疲れをとって下さいませ。