北海道・札幌発・だべさ通信5

原爆ドームが崩壊しなかったのは爆心地のすぐ下にあったから

原爆ドーム
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テレビでしか見たことのなかった広島の原爆ドーム。
私は『原爆ドーム』としか知らなかったんだけど、元の建物の名前は『広島県産業奨励館』とだったんですね。
これからは案内掲示板の内容に基づいて、お話をしたいと思います。

 

原爆ドームは緑色をしていた

 

原爆ドーム

 

広島県産業奨励館は1915年にチェコ人の建築家によって立てられました。
ここでは広島県の物産の展示即売や商工業の調査、商談などが行なわれていて、当時のドームの部分は緑色だったそうです。
シンボルてきな建物だったんですね。

 

それにしても、とってもおしゃれで素敵な建物ですね。
正面外側のデザインはアーチになっています。

原爆ドーム

 

 

原爆ドーム

 

 

原爆ドーム

 

 

原爆ドーム

 

 

 

原爆ドームの建物が残ったのは爆心地に極端に近かったから

 

原爆が投下されたのは1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。
広島県産業奨励館の南東役160m地点の上空,約600mだったそうです。
近距離のため館内にいた人達は全員即死。
けれど建物は全壊を免れました。
それには信じられない理由があったのです。

 

 

爆心地が建物のほぼ真上だった為に、爆風はまっすぐ建物を上から押さえつける状態になりました。
もし、横からの爆風だったら、あっというまに吹き飛ばされていたでしょうね。
原爆が近い所であった為に真上からの強い力が働いて形が残ったんですね。

 

原爆ドーム

 

 

原爆ドーム

 

 

 

原爆ドーム

 

 

 

崩壊しそうな建物を残す大変さ

 

原爆ドームを実際に見て驚いたのは、今にも崩れてしまいそうな建物を保存する大変さです。
建物の全体を、なにかしら補強してあるんです。
例えば、崩れた壁の上部分は鉄板をあてるなどして雨や風から壁を守り、ドームの内側からも何本もつっかえ棒をしていました。

原爆ドーム


今にも崩壊しそうな建物を、70年以上も雨風に耐えさせ、さらに未来へも永久的に保存しようというのですから、その大変さは計り知れないと思いました。

生きた歴史を未来に繋げるというのは、本当に難しいですね。

 

 

他にも建物の回りは厳重に監視されています。
まわりは近代的な街になりましたが、がれきのままのドームの中は、そこだけ、当時の時間が止まったままのようでした。

原爆ドーム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは、広島城のそばのマルバヤナギという木で、爆心地から740mで被爆しました。
けれど現在まで生き延びて、私達が行ったときにはりっぱな芽が膨らんでいました。

 

被爆したマルバヤナギ

 

 

 

被爆したマルバヤナギ

 


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