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留萌まで出かけた帰り道、北海道で一番古い木造の小学校だった旧増毛小学校の前を通り、足を止めました。
昭和11年建築と言いますから、約80年間、小学校の役目を果たしたんですね。
平成24年に、子どもたちが旧増毛高等学校に引っ越しをしてからも、建物はそのまま残っています。
二階の窓にはめてある四角い小さな窓ガラスや、三角屋根の玄関などを見ると、自分の学校でもないのに懐かしさがこみ上げてきます。
けれど、子どもたちの声が聞こえなくなった校舎の窓や壁はどこか冷たく、誰も駆け上がることがなくなった石段は、そのすき間を奪うように雑草が伸びています。
長い間 絶え抜いた校舎は、ここにきて、とうとう力尽きてしまったのでしょうか。
頑張った頑張った・・あなたは子どもたちをずっと長い間、守ってきたのだから。
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増毛小学校から5分ほど車を走らせていると、小高い丘の上に柵をめぐらしている小学校がありました。
『別苅(べっかり)小学校』
正面の窓には『ありがとう 132年!! 閉校式典 平成27年3月7日』の文字が。
この春に廃校になった小学校だったんだ。
132年ってことは、増毛小学校の歴史と同じくらいだね。
坂道を上がると、体育館が見えました。
木造だね!
通路の窓を通して見える体育館のでっぱりが、その歴史を感じさせてくれます。
学校の窓に貼られたそのメッセージに向かい合うように、開校100 年をお祝いする大きくて立派な石碑が立っていました。
『明治八年に寺子屋から始まり、明治十五年に公立別刈小学校として開校。(略)
以来、100年間に本校を巣立った卒業生は四千人にもおよび、国内はもちろん海外においても多くの人々が活躍している事実は我々の大きな誇りでもあり励みでもあります。
(中略)
別刈二世紀の子どもたちよ
今日も明るく学び、この極寒の地を切り開いた先人たちへの感謝の気持ちを忘れる事なく、社会に役立つ日本人として力強く歩むことを希望します。
昭和五十七年八月十四日』
私の通った当時の手稲西小学校もね、木造校舎でした。
みんなと分かち合った時間のすべてが、おぼろげな記憶の中でしか存在しなくなってしまうと思うと、悲しくなってしまいます。
けれど、ず~っと昔から、どの時代の人たちも、同じ気持ちを繰り返してきたのでしょう。
形ある物はいつかは消える。
永久に残るものなんてないのだから。
そうでないと、次に新しい物をつくる未来の人たちは困るもね。
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現在、北海道で一番古い木造校舎の小学校は、平成27年度で開校123年目を迎えたという当別町立弁華別小学校。素敵な校舎ですね。
昭和12年に建てられたそうです。
<写真は、2013年5月撮影>
素敵だけど、冬はものすごく寒いんだろうと思います。
すきま風の入る木造の体育館での入学式、卒業式。
ダルマストーブを設置してがんがん焚いても
寒くて震えてた覚えがありました。
凍結するので冬は使わない水飲み場とか、あったしな。
石碑の言葉が 心打たれました
そうですよね 寺小屋から始まった そしてずっと継続してきたと
学校関係者 生徒たち 父兄の皆様 町内町外の皆様がたが常に支えっていたからこその事とと思いました
この間?祝婚歌の詩で ゆうめいな吉野弘さんの 他の詩も見て感動したのです
生命は
自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい
花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で
虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、 どこかの花のための 虻(あぶ)だったかもしれない
そして明日は 誰かが 私という花のための 虻であるかもしれない
もみじさんへ
ダルマストーブ!そうそう、そうでしたね。
ストー部の近くの子は、熱くて顔が赤くなっていたけど、後ろのほうはさむかったもね。
子ども達には、暖かな教室で、すきま風のない体育館で学校生活を送ってもらいたいです。
あー、懐かし。
すみれんへ
どこかの花のための 虻になれたら、そんな生き方がいいですね。
虻は、きっとそんな事は考えずに、花からはなへと密を集めに飛び回っているのでしょうけど、そうする事で、知らないうちに花の役に立っているわけですもね。
働くという事は自分の為だけど、相手の役にもたてれば、幸せですね。