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函館観光の名所、五稜郭タワーは98m(避雷針まで頑張ると107m) 。
この新しいタワーは2006年に完成したそうです。
先日、函館に行ったとき、友人の景子と登ってみました。
下の階はホールも広々、チケットを買ってエレベーターで展望2階まで直通です。
今のエレベーターは凄いね、ス〜〜〜〜・・・・っと、まるで動いていないみたいなんです。
それに一気に登っても、血が下がっちゃうみたいな感覚もないわ。
” お待たせ致しました。展望2階に到着でございます”
うわ、土方歳三さんのお出迎えです。
美男子ですね。
ほら〜見えました。タワーの下は五稜郭です。
戊辰戦争最後の函館戦争の舞台になった五稜郭は、ヨーロッパをモデルにした要塞だそうです。
手前の三角部分を除いてみると、きれいな五角形をしています。
本当は、五角形のすべての角の間にも、手前にあるような三角部分を作るはずだったそうです。
旧幕府軍がこの五稜郭を一時占領しましたが、そのかいもなく、時代は明治に変わりました。
旧幕府側として戦った土方歳三は永年35歳でした。
今だに、どこに埋葬されたのかは、わかっていないそうです。
五稜郭タワーには、下が見える窓もありました。
最初はこわ〜〜〜と思ったけど、慣れちゃえば、な〜んもさ。
景子が乗っても、私が乗っても大丈夫でした。
五稜郭公園には、当時の本物の大砲もありました。
時代のボタンの掛け違い。
私達は偶然にも、観光で訪れる事ができる時代に生まれました。
展望室は2階建て。
展望2階から展望1階に降りるには階段を利用します。
さらに、下りのエレベーターは、地上2階どまりなので、これまた下りは階段。
もちろんエレベーターも使えますが、原則、『体の不自由な方』の為なので、階段を降りる事がキツい方は受付に相談したほうがいいみたいです。
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土方歳三と言えば八重の桜ですね。会津藩主の方々が明治政府に変わってから、北海道に入植されていまの余市を拓かれたそうですね。色々な地方から入植されて、大変だったと思います。ぽぷらさんのご先祖様はどちらからいらした方々なんでしょうか?
函館師範を卒業の亡父を最期の同窓会に連れて行った際に五稜郭を見学しましたが、無論当時にはこのタワーはなかったです。
函館には札幌と同じくらいに私には思い入れのある地なんですよ。
でもこのタワーに昇る機会が今後あるとは思えない現状なので、このブログで様子を見学出来たことは幸いでした。
五稜郭の全貌にタワーの影が写っているのもとても素敵です。
いつも楽しい話題に、このブログを訪れるたびに元気を頂いています。
街灯が ステンドグラスで?出来ているのでは ステキですね
夜も ふと頭上を見れば キラキラして見えそう?な気がする 笑
函館 しばらく行ってないですよ いいなあ
美味しい物も食べましたか?
土方さんは私が知る歴史上の人物の中で一番カッコイイ気がしますしかもお洒落さん 歳を重ねた土方さんも見てみたかったですね
※ 前の記事 書き込みしました♪
函館というとつい「イカール星人」を思い出してしまう私です。
(五稜郭タワーロボも要塞五稜郭も、すごくかっこいい)
新五稜郭タワーはまだ上ったことがありません。
登ったのは旧五稜郭タワーで、「新しいのがもうじき完成です」
というタイミングの旅行(というより、とーほくから列車で帰るのに寄り道)だったのでした。
函館、また、行ってみたいな。
へろへろさんへ
余市はリンゴを日本で初めて作った所だそうで、そのリンゴを育てた人は会津の方だったそうです。
私の父は岩手県出身で、母は札幌で生まれです。でも、そのご先祖はどこなのかしら、今度聞いてみようと思います。
ポプラ家のご先祖は、偶然にも、父と同じ岩手県でした。
ルーツを調べるのって、興味あります。
フロリダの風さんへ
こんにちは。
懐かしく思って頂けて嬉しいです。
フロリダの風さんが行かれた頃から見ると、街は随分と変わっているでしょうね。でも、五稜郭はそのままですね。
それから、歴史的な建造物、レンガ倉庫や教会などもそのまま、保存されています。
すみれさんへ
なるほど・・・
歳を重ねた土方歳三ってどんな姿になっていたでしょうね。
きっと素敵な男性になっているような気がします。
見てみたかった。
現代に生きていたら、運命は変わっていたでしょうね。
もみじさんへ
新しいタワー完成前のおしい時期でしたね。
函館の街って見る所もいっぱい、美味しい物もいっぱいで、何度か来ていますが、また行きたいと思える街ですね。
今度行く時は、新しいタワーも含めて、見るとこいっぱいですね。