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夜7時に出航した船は、秋田港に向けて穏やかな海を航海しています。太陽が登り始めた波間には、所々、雲の間から日が当たってキラキラしています。
婆ちゃんは、おばちゃんが色々話しかけてくれるので船酔いせずにすみそうです。
しっかしねえ、今の船は快適ですね。
私たち夫婦は2等船室(この船はツーリストJと言うらしい)だけど、ばあちゃん達の部屋はホテルのビジネスツインとなんら変わりません。
ばあちゃんはその素晴らしさにびっくらこいて「たまげたなあ、これは洞爺丸か?」だって。
違うよ、この船は新日本海フェリーしらかばさ。
入道崎が朝日で光り始めました。
※ 洞爺丸台風・・・婆ちゃんが言った『洞爺丸』という船は、昭和63年まで青森と北海道、函館の間をを結んでいた連絡船です。
1954年(昭和29年9月26日)の台風15号によって、洞爺丸を含め5隻の船が函館沖で沈没し、死者・行方不明者合わせて 1155人という日本海難史上最大の惨事になりました。その被害の大きさから『洞爺丸台風』と名付けられました。当時花屋を営んでいた遠山厚さんは『洞爺丸台風』の犠牲者のあまりにも損傷のひどい遺体を見て、一体ずつ清めてご遺族に引き渡しました。これが納棺師という仕事の始まりだそうです。
映画『おくりびと』は、この納棺師が主人公でしたね。
お天気で良かったですね。時間に余裕があれば船もいいですね。
へろへろ さんへ
御陰さまで、無事戻りました。
なんと言っても、それが一番ありがたいです。