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昨夜は、親戚のお爺さんのお通夜でした。
92歳だったんですと。
それでね、そのお爺さんは、亡くなる日までお元気で、急に眠たくなったのかな〜と思ったらそのままだったんですと。
若いときは自分は死なないと思って生きてきたけど、半世紀を過ぎてしまうと、
”これでまたお迎えの順番が1つ動いたのかしら”な〜んて思っちゃう自分がいます。
もし、お爺さんの歳まで生きるとしたら、あと30年以上の時間が待っている事になりますね。
お〜、そんなのは絶対ムリムリ・・きっとムリ・・・だぶんムリ・・ムリかもね・・・・でも生きるかも・・・
お迎えが来た時にはいさぎよく撤退するけど、まだ体の動く部分があるのなら、その時間をなんとかしないともったいない。
忘れっぽくって、あれ?あれ?ばっかし言いながらも、筋肉痛にガックリしながらも、それでも何かを終えたときに感じる安堵感は、若い頃より数倍心にしみてきます。
老いと感謝の心は、どうも反比例するらしい。
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92歳は長生きでしたね 眠るように 苦しまないで亡くなっていったのですね 私もでたら 眠るように・・ そんな風に思うのです
ここ最近 なぜだかわかりませんが とても親切な人に出くわしてまして・・・なんだか不思議なんですよ
精神誠意って 言葉がぴったりな人ばかりなんです
まだ世の中 捨てたもんじゃない そんな感じに思えてきて・・・
よくわかりませんが 何かしらの?・・・悟りを 知らず知らずの内に 教えてくれる 気づけるのは 若い時では まったくわからず?手ごたえも見つからず しかし年齢を重ね ようやく気づけるものなのかも知れませんよね そんな気がするのです?・・
そのお爺さんのように私も逝きたいです。
私もあと何年…と思うことがあります。
その日まで楽しくいきたいと思います。
感謝の気持ちも大切ですね。心がけます。
ここ何日ばぁちゃんとじいちゃんのデーサービスが始まったり、お風呂の手すりの取り付けの確認で業者さんが来たり、バタバタ人の出入りが激しくて、おまけに猫が腎不全になって入院したり、仕事でも消費税が上がるので、外税記載のポップに切り替えたりで、目が回る程忙しくて、ぐったり状態です。久々に1日が24時間じゃたりないよと嘆いてます。
すみれさんへ
親切な人に出会うっていいですね。
でもきっとそれはね、すみれさんの人柄が通じるからだと思いますよ。
おっしゃる通りに若いときには気づかなかった事が、年齢を重ねてはじめてわかるという事が多くなりました。
すみれさんの年齢くらいの時に悟っていればよかったのにね。
すみれさんは偉いです。だからきっと親切な人に出会うのね。
ざくぁざさんへ
私もまったくそう思いました。
生き方で死に方も変わるんだとしたら、私はもう遅いかな・・・
でも、ばんかいできるんだったら長生きして、修行しなくてはいけませんね。
へろへろさんへ
大丈夫ですか?
家族の為に動く事って、しんどいですよね。
ストレスも溜まりますね。
デイサービスも、その用意やらなにやらで、ばたばたしますよね。
手が抜ける所は無理せず抜いてもよいと思います。