ありがたいことに、我が家のお墓は自宅から近いところにあります。
ここ手稲では古くからある手稲墓地です。
手稲がまだ札幌市になるずっと前、明治の頃に設けられた墓地のようで、そのせいか墓地には手稲の発展に名を残した人たちのお墓が多くあります。
我が家のご先祖さまがこの土地にやってきたのも明治の頃で、旦那さんから数えると4代前です。
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今日は8月13日。墓地の駐車場には次から次と車が入ってきていました。
今日ばかりはご先祖さまたちも、
”ウチの子孫はまだかな〜〜” と、首を長〜くして待っていたのかもしれませんね。
とはいえ、今や人の暮らしのあるところは全世界。家族の形も人数も色々ですから、これまでの お墓のあるべき定義は通用しなくなりました。
そのせいか、手稲墓地にも寂しい思いをしているお墓の主もたくさんいます。
我が家の子供達も家を離れて暮らしているので、もしかしたら近い将来の我が家のお墓の姿かもしれないんですよね。
生きている人が、お墓に縛られて生きる時代は終わりました。
これからは、お墓の主が お参りにやってくる子孫を待つのではなく、主の方から子孫に会いに行く時代になるかもよ。
そうね私もあの世に行ったなら、今日はあっち明日はこっちと、子孫のところへ出かけようかと思います。
千の風に乗れば、いつでも何処でも誰にでも会いに行けるそうだから。
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小高い丘にある墓地ですね。うちの先祖はこちらにおりませんが、この墓地を子供の頃、走り回っていた記憶があります。
こちらで寝むっている方々は、また来たかくらいに思っていたのでしょう。
なぜか恐いと感じたことは、ありませんでした。
子供達を見守ってくれていたのでしょうね。なつかしい思い出です。
くにまるへ
そうですそうです、小高い丘にある墓地です。
くにまるさんも、子供の頃には走り回っていたのですね。
私が嫁にきた頃にはまだ火葬場があって、あの坂道を霊柩車が登って行くところをよく見ました。
手稲山口に大きな火葬場が決まったことから、火葬場は取り壊されました。
もう10年にもなるでしょうか。